「出版史から見た坪谷善四郎関係資料」長尾宗典(2024年6月8日、春季研究発表会)

出版史から見た坪谷善四郎関係資料

 長尾宗典(筑波大学)

 
 本発表は、博文館編輯局長、取締役などを勤めた近代日本を代表する出版人の一人であり、『大橋佐平翁伝』『大橋新太郎伝』や『博文館五十年史』『大橋図書館四十年史』等出版史上の重要著述の著者でもある水哉・坪谷善四郎(1862~1949)の残した史料について検討を加えたものである。坪谷が残した日記、書簡、草稿等の一次史料は、坪谷の郷里にある新潟県加茂市立図書館に寄贈されているが、現在まで有効活用されていない。吉田昭子「加茂市立図書館坪谷善四郎関係資料とその意義」『Library and Information Science』No.62(2009年)が基本的な情報を整理し、同史料に評価を与えてはいるが、書簡類などの分析は行われていない。同館所蔵資料の目録も公刊されておらず、出版史上の重要史料でありながら容易にアクセスしづらい状況が続いていた。そこで報告者はJSPS科学研究費補助金(基盤研究C)「雑誌メディアによる明治時代の思想文化の検討――博文館関連史料の整理を通して」の助成を受け、同館所蔵史料の撮影と分析、目録編成作業を進めてきた。
 本報告では、その整理作業を通じて得られた知見を元に、出版人・坪谷善四郎の活動の一端を史料に基づいて具体的に明らかにするとともに、出版史研究の方法論に関する問題提起を行った。

1.坪谷資料の伝来と概要
 坪谷善四郎は郷里の新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)に、図書館の設置を願い、明治以来、図書や雑誌を寄贈し続け、昭和期には独立した建物の建築費も寄付していた。そのなかで戦後になってから寄贈したものに、書簡や水哉雑稿、草稿類がある。これらの資料は坪谷自身が、時代相を窺い知ることのできる有名の人々の筆に成るものが多く、「他年加茂図書館の一特色たるを期してゐる」と評したものであった(加茂町立図書館後援会 編『水哉坪谷善四郎先生伝』(加茂町立図書館後援会、1949))。

2.史料から見た出版人・坪谷善四郎
 坪谷が残した史料のなかには、編集者ならではの史料も見られる。例えば「名家訪問録」は、坪谷善四郎『当代名流五十家訪問録』(博文館、1899)未収の記録を収めたもので、著名人の談話を筆記したものである。個々のインタビューの成果は雑誌『太陽』等に掲載されているものの、まとまって読めるのは貴重である。また、写真帳、絵葉書集。水哉雑稿(自著の切り抜きなどを集めたもの)などが重要であるほか、特筆すべきは日記が、明治26年から昭和22年までほぼ欠けずに残存していることである(残念ながら明治29年のみ欠)。こうした史料の存在は、従来の出版史の空白を埋めるものとして貴重な価値を有するといえる。

3.出版史研究の方法論――編集者の歴史から問う
 出版史の資料として、今日まで出版物や職員録、統計や広告など様々な問題提起がなされているが、出版社で働いていた個人の手持ちの文書は私文書ということもあり、遺族へのアクセスが困難であって従来あまり検討の俎上に上ってこなかった。編集者の手元の資料としては原稿が考えられるが、作家との原稿のやり取りに付随する書簡なども重要な資料となるはずである。とくに、明治から大正にかけて次第に出版が企業化してくるなかでは、記者(ライター)と編集者(エディター)の分離が進み、編集者の特別な役割がクローズ・アップされてくる。坪谷善四郎という人物の研究から浮かんでくる思想史・文学史・出版文化史の側面があるはずである。
 その意味で編集者の役割の歴史的な回顧が重要である。現在、編集者の活動の全体を把握するために、編集者の自伝、評伝、手記などが複数刊行されているが、そのような著作のほか、日記やメモ等の一次史料を使った研究手法は未確立である。もちろん、日記と手紙、草稿までが使える編集者の資料は特殊なケースであるかもしれない。電子メールでの原稿のやり取りが主流になっている現代では、作家と編集者のやり取りを記録として歴史研究に使える形で残すことは困難といわざるをえない。
 しかし、編集者がその職務のゆえに時代のある相を見極め、ネットワークを持ち、出版の発展に寄与した存在であったことは間違いない。オーラル・ヒストリーなどの手法とも組みあわせて、出版業界人と歴史研究者とが協業しながら、出版の記録を残していくことも重要なのではないか。
 質疑応答では坪谷資料の翻刻・出版の可能性についても質問が出されたが、まずは資料の目録化を完遂し、利用可能性を高めた上で、研究の進展を踏まえながらさらに坪谷資料が有効に活用されていく道を探っていきたいと考えている。