コロナ禍における翻訳出版
――現在そしてこれから
問題提起者:
山本 知子(多言語書籍翻訳会社(株)リベル/仏語翻訳家)
討論者:
井口富美子(ドイツ語翻訳家)
梶原 治樹(扶桑社)
ディスカッサント:
山崎 隆広(群馬県立女子大学)
司会:
安部由紀子(東京女子大学)
本ワークショップは、コロナ禍を受けて、翻訳出版業界でどのような影響や変化が起きているのか、現況を捉え、それをポジティブに生かしていける礎にしたいと企画された。業界最前線で活躍する翻訳会社代表(山本氏)、翻訳者(井口氏)、出版販売者(梶原氏)を迎え、それぞれの立場から、国内外の翻訳出版事情、出版コンテンツの変化、海外の版元の取り組み、書店の状況、コロナ後の展望などについて発表、討議いただいた。
問題提起概要
山本氏からは、コロナ禍における、1)翻訳者や出版関係者の仕事の仕方、2)刊行予定や部数、3)刊行作品の変化、4)出版業界、5)海外の状況、から問題提起いただいた。
翻訳者は在宅ワーク中心だったため大きな変化はないが、編集者側は出勤から在宅に変更になるなど、働き方の変化が生まれた。現在、人の移動制約はあるが、海外エージェントとはPDFでのデータやりとり、電子契約書などで、情報は遮断されていない。「(ICTインフラが今ほど整っていない)20~30年前に同じようなことが起きていたら多大な影響がでていただろう」と言及した。刊行書物については、非常事態宣言下の書店の休業に合わせて、発行時期の延期、書店から事前注文がないために予定初版部数の減少など影響が見られた。
刊行作品は、コロナ関連本の緊急出版、感染症関連の本の復刻版などの動きがあった。山本氏の会社では、例えば、『コロナの時代の僕ら』(早川書房)の原書のリーディング後、1週間で出版社が版権を取得、それから特急で翻訳し、1か月未満で刊行ということもあった。
出版業界全体としては、コロナ禍の自粛期間に書店に長蛇の列ができるなど、本への需要は高まったものの、駅ビルなどに入る大手書店の一斉休業、通販の遅延等で、翻訳本全体では2割ぐらい減少したと言われている。電子書籍の売り上げは増加した。
日本の翻訳本は圧倒的に欧米のものが多い。その欧米が4月、5月はロックダウンで新規の企画はあまり動かなかった。欧米の動きが鈍かったため、さらに外出自粛期間中、日本ではNetflixなどで韓国ドラマにはまったという人々も多く、現在の日本での韓国本ブームの原因はそのあたりにもあるのではないかと思われる。
討論概要
井口氏は、コロナ禍で生まれた翻訳者らの新たな“コミュニティ”や“価値観”を中心に紹介。翻訳者がオンライン勉強会、推薦本を共有する「7日間ブックカバーチャレンジ」などを通じて、古典や人文知が再評価されるきっかけになった。また、世界にある有益な情報を翻訳発信できるという外国語能力の重要性を再確認する機会、翻訳者の自信回復にもつながった。
翻訳者は在宅中心でコロナにおける影響は少なかったが、通訳者は仕事が激減した。そこで、日本会議通訳者協会が「日本通訳翻訳フォーラム2020」を8月の丸1か月、オンラインで開催。業界の枠を超えた前代未聞の57セッションを開催し、通訳者以外にも、翻訳者、通訳ガイドなど1,000人が参加した。不安な時代の中で、互いを励まし、マイナスをプラスにするという、利他の精神が生まれた。井口氏の専門であるドイツでの翻訳出版事例なども紹介された。
梶原氏は、販売、流通事情を中心に言及。4月上旬から5月末まで駅ビルや大型ショッピングセンターの書店が営業自粛(休業店は全国推定1,000店規模、『新文化』調べ)、郊外、独立系書店は営業継続し盛況が続いた。コロナ禍で取材、撮影、付録生産等が滞り、雑誌発売に影響(5月:117点、6月:107点の定期誌が発売延期・中止、同調べ)が及んだ。
全国一斉休校の影響などで学習参考書、児童書、コミックスなどが売れ、実用書は、料理は伸長、趣味・旅行は激減など明暗を分けた。4月以降、ビジネスが顕著に売上増傾向で、働き方の変化が関係しているのではと分析。翻訳出版物においては、カミュの『ペスト』、『FACTFULNESS』、『チーズはどこへ消えた?』など「評価の定まった既刊」重視の傾向が見られた。自身の気付きとして、「非常時下の時こそ本は(精神支柱として)求められる」という点を挙げた。
ウィズ/ポスト・コロナ時代の翻訳出版
山本氏は、世界中で例外なく同じ脅威にさらされ、対応が迫られている。コロナに限らず、地球温暖化など国境を越えた地球規模の問題が起きている。国境を越えての協力が大切で、知見を共有できる翻訳本は今後一層意義のあるものになるのではないか。井口氏は、現実世界がディストピアだからこそ、希望のある物語が読みたいという読者も多い。現代はリモートでつながっていろいろな情報が得られる。語学が得意な方が世界で有益な情報を集め、発信していく責任を感じている。梶原氏は、出版流通・営業のDX(デジタル・トランスフォーメーション)推進が必要になっていく。訪問営業、Faxからの脱却、オンライン商談ツール構築、商品情報のデータベース化などが求められる。コロナに限らず災害、緊急時に出版流通を維持するためのBCP(事業継続計画)構築も必須になる。いっぽう、デジタルツールを活用し、地理的距離を超えたネットワーク構築などを期待している。
ディスカッサントの山崎氏は、「現在は、世界がコロナ禍という共通課題を抱える稀有な状況。翻訳出版に関わる方々が、それぞれの現場で様々な試みを進めているということがよく分かった。今後は、それらをつなぐプラットフォームのような仕組みが出来ないか。また、直面している状況が共通するからこそ、これからはそれぞれの地域の相違点が顕在化されると思われる。そして、ブックフェアのバーチャル開催、紙から電子への移行など、コロナ禍においてメディア(媒体)が変容しているが、この変化はきっと小さくはない影響をもたらすと思う。こういった物質性、モダリティの変化が、翻訳にまつわるコミュニティのあり方にどのような変化をもたらすのかという点も、今後注視する必要があるのでは」とコメントを寄せた。
(文責:安部由紀子)