戦時のラジオテキスト『国民学校放送』の一考察 本間理絵 (2015年5月 春季研究発表会)

戦時のラジオテキスト『国民学校放送』の一考察
――国定教科書との内容比較を中心に

本間理絵
(東京学芸大学連合大学院教育学研究科博士課程D1,NHK出版)

 本研究は,1941(昭和16)年から4年間放送されたラジオ番組「国民学校放送」について,ラジオテキスト『国民学校放送』(日本放送出版協会刊)の内容分析を通して,その放送内容や国定教科書との内容の違い,戦時の放送・教育政策との関連を明らかにするものである。ラジオテキスト『国民学校放送』の研究や国定教科書との内容比較をした先行研究はほとんどない。
 国民学校放送の特徴は,授業での利用が正式に法制化されたことであり,その教育目標は「皇国民の錬成」(国民学校令第1章第1条)であった。根幹科目は「国民科」(修身・国語・国史・地理)で,ラジオ体操や「朝礼訓話」,教師向けの「教師の時間」などの科目外授業を設けていた。月刊テキスト『国民学校放送』(1941年4月創刊,日本放送出版協会刊)は,全国の国民学校に無料配布された。
 戦前の学校放送は大阪局での準備期,全国放送期,国民学校放送期の三期に分かれるが,これらすべての陣頭指揮を執ったのは,日本放送協会の西本三十二(1899~1988)である。米コロンビア大学留学中に進歩主義教育の推進者キルパトリック(William Heard Kilpatrick:1871~1965)に師事した彼は,1933(昭和8)年に日本放送協会に入局,大阪局で学校放送を設立,東京局で国民学校放送を設立した。
 「国民学校放送」は,戦争教材,神国観念を強調する教材が多用された第5次国定教科書を前提として,ラジオの特性である音声を生かして音楽や放送劇を多用して制作された。本研究では,教師向けのテキスト『国民学校放送』9冊(昭和16年5月号・6月号,昭和17年9月号・12月号,昭和18年2月号・4月号・7月号,昭和19年2月号・3月号)の内容分析によって放送内容を考察した。

1)昭和16年~時局連動番組の増加
 日中戦争勃発以降,すべての番組がプロパガンダに動員されて政府の厳しいメディア統制を受けたが,学校放送とそのテキストも例外ではない。6月の時局連動番組(放送内容を戦局情勢と関係づけた番組)は児童向け放送45回のうち時局連動番組は8回であったが,太平洋戦争勃発後の12月号では児童向け27番組中12番組に増えた。政府がラジオのスピードと臨機応変さを認識したこの頃から,「朝礼訓話」で陸海軍高官の演説が増え,臨時ニュースが多用された。

2)昭和16,18年~「学年・科目・地域横断授業」の推奨
 「私たちの旅 瀬戸内海めぐり」(昭和16年6月10日放送)の地域局横断リレー中継では「6年生の国語と5年生の地理をつなげた」横断的な授業を推奨,昭和18年2月号でも「1年向け音楽科の『ヒカウキ』の放送は国語と音楽の教科書を連絡して指導するように」とあり,戦時下の学校放送ですでに学年・科目・地域を超えた横断授業が行われていたことがわかる。

3)昭和17年~時局番組の新設
 低学年向け「前線だより」と「共栄圏童話の旅」,高学年向け「軍事講話」「戦線地理」,高等科向け「大東和共栄圏講話」「戦争と科学」の6つの時局番組が新設された。また「時局的なもの」(5年向け,2月12日放送),「東郷元帥」(6年向け,2月25日)など,高学年向けに時局的な「お話」が多数登場している。

4)昭和18年~国史劇・「お話」による神国精神の高揚
 5年,6年向け国史では「物語や劇の形をとって,肇国精神の時代時代に顕現せる姿を放送する」ために国史劇「神国日本」を放送開始した。4月号では4年向けお話と音楽「靖国神社」(4月22日放送)と高学年向け物語「護国の華」(4月22日放送)で臨時大祭を祝い,解説指導では,「尽忠報国敢闘の精神を児童に融け込ませる」よう指導を促している。

5)昭和19年~決戦非常措置下の放送
 厳しい戦況下で放送回数が減少する一方,3月号では時局連動番組の割合は20回中17回と急増している。高等科(12~14歳)向けでは「飛行機講座」,「少年産業戦士へ望む」「戦争と科学(電波兵器の話)」など徴兵に即応する実践的講義が目立つ。しかし教育現場の教師からは「決戦教育,戦力増強の教育ばかり力を注いでいたのは,本来の目的とする初等普通教育や国民の基礎的錬成がおろそかになる」(昭和19年2月号)などの訴えが上がっている。1945(昭和20)年4月,国民学校放送は中止となり,テキストも用紙不足により前年5月号で休刊した。
 国民学校放送の目的は,第5期国定教科書と同様に「戦争とファシズムに子どもを動員すること」であった。音楽とドラマ仕立ての演出は,子どもに兵士への憧れや愛国精神を植え付け,戦争に動員させるのに好都合だった。一方,音楽や放送劇の多用,実況放送,科目横断型授業などの斬新な授業方法や,教師向けのテキストや「教師の時間」の設置には,西本三十二がアメリカで学んだ進歩主義教育思想や授業方法重視の影響が色濃くみられた。