《ワークショップ》嫌中嫌韓本ブームを考える 塚本晴二朗 (2015年5月 春季研究発表会)

《ワークショップ》
嫌中嫌韓本ブームを考える――出版界は『極化』しているか

  司会者:塚本晴二朗(日本大学)
  問題提起者:笹田佳宏(日本民間放送連盟)
  討論者:茨木正治(東京情報大学)

塚本晴二朗 (日本大学)

 まず,問題提起者の笹田佳宏氏より以下のような問題提起がなされた。
 「嫌中嫌韓本ブームを考える」上での問題提起として,「客観報道」を標榜する新聞・放送といったマスメディアの報道と,嫌中嫌韓感情の醸成との関連性を考えていきたい。韓国に限定し,各種の調査と実際に起こった出来事を照らし合わせて関連性を探る。その際,韓国に関する報道について日本の新聞・放送は一定の「客観性」を有していることを前提に話を進めて行く。
 まず,日本人がどのようにして韓国の情報を得ているのかを見る。特定非営利活動法人の「言論NPO」が2014年7月に発表した「第2回日韓共同世論調査」によると,日本人の「韓国情報の入手経路」は,1位が「日本のニュースメディア(91.5%)」,2位が「日本のテレビドラマ・情報番組,映画作品(24.6%)」,3位が「韓国のテレビドラマ・情報番組,映画作品(19.3%)」となっている。また,国民感情とメディア報道の関係では,「メディア報道の影響がかなり大きい」とする人が62.1%,「メディア報道の影響はあるが大したものではない」とする人が15.7%,「メディア報道の影響はない」とする人が2.8%となっている。つまり,日本人は,一定の客観性をもった新聞・放送から韓国に関する情報を入手し,その情報摂取によって国民感情が変化すると仮定できる。
 では,日本人が「韓国との関係」をどうとらえているのか,また,「韓国への親近感」はどのように変化しているのかということと,実際に起こっている現象を比較していくと,日本人の韓国への感情・評価は,政治的な問題がある場合は,下がる傾向が見られ,好感情,高評価は,国際スポーツ大会や文化面に支えられていると読み取れる。
 以上をふまえて仮説を立てるとすると:
・日韓の政治的問題の報道では,日本の対応に対する,韓国国民の反応が伝えられることになる。この中で韓国人が怒る,泣くといった極端な感情表現も報道される。これに対して日本人の中に「また反日か」「けしからん」といった感情が生まれてくる。
・つまり,報道が客観的であっても日韓に横たわる問題は,それ自体が報道されることにより,日本人の韓国への評価・感情を悪くする。国民の中に嫌韓感が高まる。
・また,内閣府の調査でアメリカなど他国の感情・評価と韓国のそれは異なり,事象によって上下の大きく変化することも読み取れる。これは,日本人の韓国に対する特殊な感情と考えられる。
 放送界との関係で,もう一つ仮説を立ててみたい。ソーシャルメディアのネタの大部分はテレビから供給されており,ツイート分析でもテレビネタが多くなっていると言われる。
 また,ツイート内容の調査では,「賛否の分かれるテーマは,関心を持つ特定の利用者間でツイートとRTが繰り返されやすい」との調査もある。以上から,
・テレビでいうならば,番組を見ながらTwitterなどソーシャルメディアやインターネットを使って自分の意見を書き込むことが若者を中心に増えている。
・ニュースでもツイートが行われている場合,「賛否の分かれるテーマは,関心を持つ特定の利用者間でツイートとRTが繰り返されやすい」のであれば,先の仮説からすると,反韓感情が増幅されやすいと想定される。
・これらが,日本人,特に若者における嫌韓感の高まりに影響を与えているのではないか。
 続いて討論者の茨木正治氏より問題提起に関する「極化」の理論的な裏付けと,新聞や放送の報道が「客観報道」といえるかどうか,という指摘があった。その後に,フロアとの活発な議論がなされた。
 本ワークショップで見えてきた点は,出版における倫理とは,「結果責任」ではないか,ということである。つまり売れるための書籍や雑誌の特集を企画することを否定してしまったら,出版業界そのものの否定になりかねない。「商業主義」という言葉で十把一絡げにして,非倫理的と片付けてしまうわけにはいかないだろう。しかし,社会問題を引き起こす一端を担っていたとすれば,そうした問題を起こした「結果責任」は,取らなければならない。「個人情報保護法」で,出版社は「報道機関」に含まれなかったことにみられるように,相応の責任を取ろうとしなければ,それなりの扱いしかされなくなる。そうした点に着目した「出版倫理」の議論が,出版学会の重要な対象領域として,今後も継続的になされていかなければならない,そう痛感させられたワークショップであった。