押田信子
はじめに
カタログ通販会社千趣会発行の日本初カード付月刊雑誌『COOK』は,1958年に創刊され,1988年に休刊されるまで,20代~30代の会社員を中心にした独身女性層に支持された。1960年代後半から70年代前半にかけて発行部数が『家の光』に次いで80万部に達し,当時のOLたちのバッグにはB5判の『COOK』が決まって1冊収められ,雑誌界の隠れたベストセラーとの呼び声も高かった。
『COOK』は料理に特化し,さらに女性の生活情報を扱った雑誌として今日の若い女性誌,グルメ雑誌の先駆的存在である。しかしながら,販売方法が会社,学校で直接販売するという形態だったため,これまで,研究の俎上に載せられることが少なかった。本報告は『COOK』の最盛期である60年代を軸に,直販がもたらした出版サイドと読者の共同作用による雑誌を分析し,『COOK』の位置づけを考える。なお,発表者は1974~1983年まで『COOK』に在籍した。
創刊の背景
1955年創業し,銘菓,こけし頒布で業績を伸ばしていた千趣会は,こけしに変わるエンドレス商品を作りたいと模索した結果,1958年料理カード(カラー10枚)『クック』と雑誌『たべもの千趣』(B5・モノクロ・40ページ)創刊。10万人規模の会員を持つこけしが付けた販売ルートを足場に,会社,学校に販路を見出す。当初は,雑誌はカードと共に配布する,付録的な役割であった。創刊号は1万2600部発行。1960年5月『COOK』と誌名を変更。創刊2年にして発行部数は10万部に達した。
『COOK』の変容・販売システムと編集に関して
料理カード付雑誌考案の発端は,東京銀行丸の内支店で白いボール紙で活字だけのアメリカ版権の和訳の料理カードが売られ,若い女性に人気があるとの情報による。千趣会はこれを改良し,料理はカラー写真,裏面にはレシピを載せたカードを考案した。1958年,10枚の料理カードに食周辺の話題を載せた雑誌『たべもの千趣』をつけ,価格はこけしと同じ100円とし,商品化に踏み切った。読者の獲得も独自の道を歩んだ。それが取引のある企業,学校で,『COOK』の注文を取りつけ,配布してくれる窓口に当たる「お世話係さん」システムの導入である。このシステムは同僚や学友である「お世話係さん」を通じて,『COOK』を購入することができるため,好評を博した。「お世話係さん」もまた,頒布で顔見知りだった千趣会の営業に協力的で,自発的に『COOK』の宣伝PRに動いた。雑誌を売る側,雑誌を買う側が友好的に接触する中で,千趣会は購買層の生活実態,希求するものを聴取,把握し,『COOK』誌面や自社商品企画に反映させた。
1964年には料理カードはカラー15枚,本誌は総頁112ページに拡大し,部数は右肩上がりを示す。この時期の人気企画は一流企業女性社員たちを多数登場させた「BG編集長」,大手町子作の連載小説「24歳」であったが,特に「24歳」は読者の実像を描いた小説として,後にドラマ化され,24歳結婚適齢期説を生むなど,社会現象となった。好調の波に乗った『COOK』は,60年代後半から70年代前半にかけて大量に社会へ進出したBG(後にOLと呼称変化)をターゲットに,1969年12月には発行部数82万4千部に到達する。
しかし,82万部達成以降,部数は漸減していく。理由は,(1)OLの結婚観,食に対する意識の変化。結婚に際して料理が巧みに作れることが条件ではなくなり,変わってインスタント,レトルト食品,外食へ興味の対象が移った(2)『non-no』『anan』誕生により,主要女性誌が大判へ移行。「バッグに入る」小型雑誌の価値低下(3)13年間据え置きの価格改定等が挙げられる。長期低落を続けた『COOK』は,1987年5月号で大判化を図るが,1988年7月号・通巻362号で休刊。以後,千趣会はカタログ通販『ベルメゾン』を中心に,多角的な商品販売に完全移行した。
千趣会は読者BG(OL)の願望にいかに応えていったか
(1)結婚願望に応える 結婚適齢期である『COOK』読者の第一の関心ごとは「結婚」だった。売り物のカードは「カードをもってお嫁入り」をキャッチフレーズにし,本誌では評論家の吉沢久子,三宅艶子,サラリーマン作家の中村武志,源氏鶏太らを起用し,理想的なOL,可愛いお嫁さん像を読者OLとの座談会,エッセイで語ってみせた。1963年3月読売新聞において,「32万のBGが読んでいる,集めている」と企業広告を出し,以後,「COOKメイト 今一番期待される花嫁候補」(1968年3月)「独身男性諸氏へ 70万人の花嫁候補をご推薦します」(1969年6月)などと続き,『COOK』=花嫁養成雑誌のイメージが定着した。
(2)おいしく,手軽,ハイクオリティの食生活願望に応える 誌面に登場した料理研究家は外国生活経験のある名家夫人,夫が一流企業に勤める奥様(飯田深雪,バーバラ寺岡,河野貞子ら),一流ホテルシェフ,料亭主人(村上信夫,小野正吉,田村平治ら)が名を連ね,料理初心者でも作れるように懇切丁寧なレシピと共に紹介した。料理撮影は日本初の料理写真家佐伯義勝を起用し,超速な撮影技術に基づいた,シズル感溢れる出来立てそのものの料理写真が掲載され,読者の信頼を得る。
(3)旅心に応える 1965年巻頭カラー連載「新日本うまいもの紀行」,1967年連載「文学を味わう旅」など旅とグルメを組み合わせた企画が人気を博し,雑誌を持ちながら旅行するスタイルを生み出した。
結論
本発表では,これまであまり明らかにされてこなかった千趣会発行の『COOK』の変遷をたどり,考察の中心を『COOK』最盛期の1960年代に置いた。『COOK』は直販であったために,読者の要望に応えた誌面作りが可能で,そのため,読者もまた『COOK』を身近な存在と捉え,積極的に企画に参入してきた。ここに送り手と受け手の信頼による密な関係が生まれ,結果的に1960年代の「隠れたベストセラー」となった。1960年当時,料理は主婦向け雑誌のある部分を担うだけの存在だったが,『COOK』は若い女性会社員を対象に,料理をカード,本誌,別冊とセットで,平易なレシピとともに紹介し,また,食情報,生活情報を提供した。今日の出版,テレビなどのメディアによる,グルメ情報の氾濫を見ると,『COOK』が種を撒き,耕した土壌をさらに深く,広く,掘り起していると感じる。雑誌は時代を映すと言われているが,雑誌はまた,時代を切り開き,作るものである。『COOK』は,日本が勢いのあった時代のパイオニアとして,また,過渡期的メディアとして位置づけられるものである。