紙書籍としての絵本
――制作から受容までの一連の流れのなかで
山内椋子
(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
絵本は出版不況や子どもの人口減少にあっても一定の売り上げを維持してきた。市場では、ロングセラーが売れ行きを牽引している傾向があったが、近年はマスメディアやSNSを通して話題となった作品が販売数を増やす事例もある。また老舗の出版社を中心として電子出版に消極的な傾向にあることが指摘されている(全国出版協会・出版科学研究所、2022/2023)。こうした絵本出版の動向をふまえ、本発表では、紙・電子出版に関する論点を整理しながら、絵本市場における紙書籍の現状と今日的意義について、1990年代以降の日本における絵本表現の軌跡を通して検討した。
まず絵本において紙と電子出版の差異は何だろうか。横山慈英(2021)は、現状のデジタル絵本は教材としての意味を持つ傾向にあり、紙の絵本とは定義じたいに差異があることを指摘している。それを考慮しつつ、本発表では次の3つの観点を提示した。1点目に、制作者側の構想と表現手法、2点目に販売/流通の過程、3点目に読者と受容に関するものである。
まず1点目である。デジタル絵本の歴史を遡ると、すでに1990年代から存在するが、音や映像をとり入れるとゲーム/アニメーションに接近し、「絵本」を定義する難しさが浮かびあがる。2001年には、世界各国の民話を複数の言語に翻訳してウェブサイトに公開した国際デジタル絵本学会の事例がある。これはアクセシビリティの観点でデジタルに意義を見いだし印刷レイアウトを採用した電子版であり、現在のデジタル絵本の多くも同形式である。
一方、紙の絵本では、紙に付随する物質性は構造表現にとって重要となる。例えば、仕掛け絵本は子どもの読み物であると同時に玩具としての役割も担ってきた。2004年に刊行された『不思議の国のアリス』(大日本絵画)を契機に、大人も対象としたブームに発展したが、そこでは高度な技術によって構成された本が「鑑賞」された。また用紙の厚さや綴じの強度、安全性や手触り、原画の再現性等も制作に欠かせない要素であり、作者/出版社/印刷会社等の協力により成立する点は紙の絵本の特徴である。絵本制作は、紙書籍の物質的特性への理解を通して表現が蓄積されてきたといえる。欧米圏ではデジタル絵本に特有の機能/表現手法も議論されはじめている。紙とデジタル各々の性質を再検討し、絵本表現を新たにすることは、横山が指摘する絵本の教材化、または紙の単なるデジタル化を克服するために重要であろう。
2点目である。絵本は各家庭で購入されるほか、児童福祉施設や学校、図書館等に所蔵されている。そのほか2000年の子ども読書年を契機に始まったブックスタートは年々存在感を増している。2001年度末には36自治体であったが、1年後の2002年度末には319自治体へと急成長し、2022年度末には1096自治体と全体の63.0%を占める実施率となった。同様の活動をおこなう自治体を含めると84.4%に上る(NPOブックスタート、2023)。
ブックスタートは出版業界全体からの支援により成立しているため、通常販売と同様の利益が生じるわけではない。絵本との接点の創出・早期化によって将来にわたる購買へ繋がる可能性から、長期的な販売施策とも捉えられる一方で、絵本という商品が教育的観点から支えられていることを再確認できる事例である。また、電子出版市場を牽引するコミックでは一話売りや割引等に活路を見出しているが、絵本では、紙とデジタルの差異化が課題といえる。
3点目である。受容の様相を考えるとき、絵本は子どもに読まれるものとの認識が一般的であろう。一方で近年、大人による受容も顕著になってきた。絵本ナビには、年齢別に絵本を検索できる機能がついており、「大人」というカテゴリーが設けられている。またレビュー欄には「何歳のお子さんに読んだ?」という質問事項が用意されているが、子どもより大人の読者が圧倒的多数を占める絵本が存在する。例えば仕掛け絵本の事例から分かるように、「モノとしての絵本」に価値が見出される傾向も指摘できる。以上のように、現状、紙の絵本には複数の側面から支持される基盤があり、デジタルで代替しづらい性質が、制作から受容までの一連の流れのなかに意義を生み出していると指摘した。
質疑応答の時間には、「大人による受容以前に子どもによる受容が前提にあるが、なぜ動向に変化が生じたのか」、また「絵本のデジタル化がバリアフリー対応等で不可欠な場合があるが、それをどのように位置付けているか」という問いが寄せられた。前者については、詳細な分析は今後の課題となるが、特定の作家や表現形式が話題を呼び大人の購入が促された事例にふれ、絵本表現に新たな評価が加えられることで認識の変化に繋がったのではないかと説明し、後者については、紙の形式の単なる電子化を克服することは、絵本表現を刷新していく上での課題と捉えており、ニーズを汲んだ形式の選択は引き続き重要なものであると指摘した。