雑誌記事の言説からみる「推し活」のメディアイメージ
田島悠来
(帝京大学)
本発表では、「推し活」をめぐるメディア言説、なかでも、雑誌記事の言説に着目し、「推し活」という文脈が用いられるようになったことで、ファン活動や「オタクイメージ」にどのような変容がもたらされていると言えるのかを探ることを目的に、「推し活」をキーワードに雑誌記事を検索し抽出された記事を分析した結果を報告した。
まず、関連する「ファン」についての研究に目を向ける。日本のファン的な存在については、1980年代以降、「おたく/オタク」という名称のもと、一定の議論が蓄積され、ステレオタイプなファン像へ焦点が絞られてきたことが問題化されてきた。同時に、こうした「オタクイメージ」は、メディア表象によって再生産され続けている部分がある。しかし、2010年頃を境に、上記のようないわばネガティブな「オタクイメージ」は徐々に変質し、ある種の「オタク」の大衆化が進行している。さらには、2020年代に入り、幅広いジャンルに及ぶ対象に熱狂的な態度を示す人びとがメディアを通じて映し出され、これまで社会的にも、また学術研究の領域からも周縁に置かれるか排除されてきたと言える「女性オタク」、なかでも、女性を「推す」女性の姿に光が当てられるようになっている。
次に、研究方法としては、大宅壮一文庫雑誌記事索引を用いて「推し活」をキーワードに記事を検索し、分析対象とする「推し活」にまつわる特集、記事を抽出し①どのようなジャンルの雑誌において、②誰に向けて、③どのような内容の記事によって、④いかなる言説が作り出されているのかという四つの観点から分析していった。
得られた知見は次のとおりである。第一に、「推し活」関連の特集、記事は、その大半が女性向け雑誌において掲載されているものであった。さらに細かいジャンルにまで目を向けると、芸能関連情報を専門的に扱っている雑誌群のみならず、ファッション、コスメ、経済、総合情報と幅広い分野の雑誌においてみられた。20代~30代女性を主なターゲットとする比較的若年層向けを中心としながらも、女性週刊誌においても関連記事が複数あがっていることが示すように対象年齢層が必ずしも限定化されているわけでもない。ここから第二に、様々な趣味嗜好・ライフスタイル・年齢の女性に向けて「推し活」の情報が発信されていると言える。
第三に、内容としては、単発特集や連載記事において、多岐にわたる「推し活」対象(3次元・異性のアイドルに限らない)や実践者の声が紹介され、個々のエピソードを交えた「推し活」の利点に焦点化される。ファッション誌では、作家や専属モデルらの「推し」への語りによって、おしゃれで高尚なイメージを持って「推し活」の推奨がなされていく。
以上によって、第四に、「「推し活」は個人にとってもまた社会的にも有意義なものである」という言説が生み出されていることがわかった。「推し活」を行う多様な女性たちを映し出すことで、オタク的な振舞いを行う女性の姿を大衆化しながら可視化し、好意的な印象を与えるよう方向付けが女性読者に対して行われていると考えられる。これは、ネガティブなものであった「オタクイメージ」を更新するとともに、社会的な意味を付与し、そして、ファン活動において不可視化されてきた「女性オタク」を「推し活」の中心的な存在として浮かび上がらせていく実践と位置づけられるのではないかと述べた。
発表を受け、質疑応答では、そもそも「推し活」とファン活動の違いはどこにあるのか、男性の「推し活」についてはどのようにメディアで描かれているのかといった質問がフロアから寄せられた。それに対し、「推し活」は社会的なつながりや意義が強調されているものの、ファン活動は活動実践者と対象(推している相手、例えば、「アイドル」)との個人的なつながりや個人にとっての意味とは何かにフォーカスされる傾向にあるのではないかという点、男性の「推し活」や男性同士のつながりはメディア上で可視化される機会が少なくその要因についても今後探っていく必要があるのではないかという点を指摘した。
主要参考文献
池田太臣(2011)「オタクの“消滅”――オタクイメージの変遷」『女子学研究』1、pp.42-60
田島悠来(2022)「メディアが描く「推し活」――メディア報道と表象の分析から」『帝京社会学』35、pp.87-115
辻泉・岡部大介(2014)「今こそ、オタクを語るべき時である」辻泉・岡部大介・伊藤端子編『オタク的想像力のリミット――〈歴史・空間・交流〉から問う』筑摩書房、pp.7-30
松谷創一郎(2008)「〈オタク問題〉の四半世紀――〈オタク〉はどのように〈問題視〉されてきたのか」羽渕一代編『どこか〈問題化〉される若者たち』恒星社厚生閣、pp.113-140
山中智省(2009)「「おたく」誕生――「漫画ブリッコ」の言説力学を中心に」『横浜国大国語研究』(27)、pp.16-34