宮本温子
(筑波大学図書館情報メディア研究科博士前期課程)
1.はじめに
本研究は、明治後期に刊行された文芸投書雑誌『文庫』(明治28年~明治43年)、『新声』(明治29年~明治43年)の編集者、記者、読者らを事例に取り上げ、明治期の文学とその周囲に形成された読者の関係分析を通じて、当時の文学をめぐる共同体の実態を明らかにすることを目的とする。
2.『文庫』『新声』をめぐる状況
これらの投書雑誌が刊行されていた明治後期の文壇は、博文館、春陽堂、硯友社などが牛耳る閉鎖的なものであったが、『文庫』および『新声』はそれに対抗する勢力として、新人の育成を念頭に置いた「開かれた文壇」の形成を第一の目的とし、文学を志す青年たちから熱く支持された。
これらの投書雑誌を扱った主要な先行研究には、関肇「文学青年の勢力圏:『文庫』における読むことと書くこと」がある。そこでは、『文庫』の文学史上における位置づけ、この雑誌を取り巻いていた文壇の状況、記者と読者のコミュニケーションや誌友会などについて論究されている。また、関は『文庫』の文学青年たちの既成文壇に対する批判者的側面、対抗勢力としての側面を指摘している。本研究は、こうした彼らの姿勢を認めつつ、同時に、彼らが強く文壇を意識する存在であったという点に着目する。
文学青年たちは当時の文壇への対抗勢力であるとともに、彼らもまた独自の文学青年同士による強固なコミュニティを築き上げ、それぞれの文学活動を行った。その手法はいわゆる大手出版社の商業主義的戦略とは趣が異なるものの、彼らもまた彼ら自身によるいわゆる「文壇」を有していたと考えられる。その様子を『新声』と、競合関係にあった『明星』の対立から生じた「文壇照魔鏡事件」を事例に取り上げて考察した。
3.文芸投書雑誌における誌友交際
本研究では、雑誌の運営や投書家それぞれの文学活動において、誌友同士の交際の役割を重視する。ここでは、誌友交際の事例として、一つ目に、『新声』の創刊者である佐藤義亮、編集部の田口掬汀、平福百穂の交流を、二つ目に、『文庫』の横瀬夜雨、河井酔茗、伊良子清白の交流を取り上げた。一つ目の事例からは、『新声』を発行していた出版社である「新声社」を起こした佐藤義亮、そして彼の同郷人であり、『新声』において才能を見出され上京した作家の田口掬汀、さらに、同郷人であり『新声』の活動にも深く関わり他の二者とも深く交友関係を結んだ画家の平福百穂のやりとりから、故郷と東京の狭間でそれぞれの夢に生きた青年たちの複雑な心情や関係を読み解いた。二つ目の事例からは、『文庫』の投書家として名を成し、他雑誌の編集などにも携わった横瀬夜雨と、『文庫』の編集部の一員であり、『文庫』を通じて多くの誌友の才能を見出し、夜雨とも深く交友を結んだ河井酔茗、また、二人と並んで『文庫』派詩人と称され、同じく他の二者と深いつながりを持っていた伊良子清白のやりとりを、主に横瀬夜雨を中心に据えて考察した。
以上の事例から、文芸投書雑誌への投稿を始めとする文学活動によって培われた文学青年たちによるコミュニティの結びつきの強さが、彼らの様々な執筆活動や同人活動に強く影響を及ぼしたことが読み取れる。さらに、文学青年のコミュニティが文芸投書雑誌という形で作り上げた、いわば擬似的な「文壇」が、既存の文壇に接近し、その一部の投書家らが次なる文壇の担い手へと成長していく過程も見いだせよう。また、その一方で、こうしたコミュニティによる他者との交流によってそれぞれに自己実現を果たし、文学の道を離れる読者、あるいは上京することなく故郷に留まり続け、地域文化の発展に尽力した読者の姿も読み取ることができる。
4.まとめ
以上から、明治後期の文壇の周囲に形成されたコミュニティに所属する文学青年たちが、当時の文学作品および「文壇」文化を享受、模倣し、その次なる担い手へとなる過程を考察した。今後の課題としては、居住地にとらわれない、雑誌の投稿や文通を通して育まれた文学青年によるコミュニティを考察する上で、「想像の共同体」(B・アンダーソン)あるいは「公共圏」(J・ハーバーマス)との関連性を検討していきたいと考える。
《主要な参考文献》
・関肇 「文学青年の勢力圏:『文庫』における読むことと書くこと」 光華女子大学研究紀要37 京都光華女子大学 1999年
・永嶺重敏 『雑誌と読者の近代』 日本エディタースクール出版部 1997年
・永嶺重敏 『「読書国民」の誕生:明治30年代の活字メディアと読書文化』 日本エディタースクール出版部 2004年
・山縣悌三郎 『児孫の為めに余の生涯を語る』 弘隆社 1987年
・柳田國男、富木友治、高井有一 『平福百穗書簡集』 翠楊社 1981年
・高井有一 『夢の碑』 新潮社 1976年
・水上勉 『筑波根物語』 河出書房新社 2006年
・木村勲 『鉄幹と文壇照魔境事件』 国書刊行会 2016年