山森宙史
(四国学院大学)
本発表は、「マンガ文庫」の歴史的成立過程から、1970年代以降のマンガ出版物における「書籍」概念の位置付けについて検討するものである。1960年代以降、国内のマンガ出版物は、主にマンガ雑誌(週刊・月刊マンガ誌等)とコミックス(マンガ単行本)の二つの形態を主軸として発展してきたが、両者と並び、1970年代からながらくマンガ出版物の一形態として、今なお存続しているものに「マンガ文庫」がある。本発表ではこれまでのマンガ文庫が展開してきた「文庫」概念の解釈と、その過程で戦後マンガ出版物の枠組みにおける「書籍」という位置付けがどのような意味を有するようになったかを、主に産業的言説を追うことで明らかにしようとした。
「まんが文庫」と銘打つ出版物は、1970年代以前より散見されるものの、マンガ出版における本格的な文庫判型への参入を決定づけたのは、76年の「少年倶楽部文庫」にはじまる「まんが文庫ブーム」を契機とするものだった。マンガ文庫出版の登場を促す背景となっていたのが、1970年代の第三次文庫ブーム以降の文庫出版をめぐる性格の変容である。文庫出版はジャンル別の細分化が進み、多様な商業目的に沿って脱文脈的に利用される一判型へと相対化されていく傾向にあった。文庫形式のマンガ出版物の登場は、まさに「文庫」という書籍概念が相対化され、多様化していく時期と一致していた。そのため、マンガ文庫も、ただ「マンガの名作・古典の文庫化」を一義に進められたものばかりではなかった。まず挙げられるのが、自社マンガ誌やコミックスレーベルを有するマンガ出版社による、「版権防衛」の道具という位置付けである。当時、活字文庫と同様、マンガ作品も文庫化の際の版権は著者の承諾に委ねられており、同時期のコミックス出版の本格化も背景に、マンガ文庫は作家・作品の囲い込みの役割を担う判型として用いられていた。また他方で、この時期のマンガ文庫の中には、「マンガ」の論理に沿って「文庫」の意味を読み替えるような動きも存在していた。例えば、ナンセンス・コマ漫画を中心に収録する立風書房「立風漫画文庫」では、既存の活字文庫の表紙をパロディ化した表紙を展開していた。「文庫」という概念を、いわばネタ化するこれらの手法からは、「文庫」という書籍スタイルが、単にマンガの地位向上の道具としてだけではなく、マンガというコンテンツに沿う形へと再編されていく様子を確認できる。
こうして、「週刊マンガ誌」、「コミックス」に続く、戦後マンガ出版の第三の形として誕生したマンガ文庫だったが、最終的に、70年代半ばに起こった第一次マンガ文庫ブームは実質2、3年足らずで終息していった。マンガ文庫が再び注目が集まるようになったのは、文庫市場全体が慢性的な停滞状況に陥っていた80年代末である。1989年2月の手塚治虫の死を契機とした様々なメモリアル出版企画の乱立のなかで成功を収めたことで、再びマンガ文庫に注目が集まり、「第二次ブーム」が訪れる。第二次ブームでは、各版元が第一次ブームの「失敗」となったマンガ文庫の商品コンセプトの曖昧さを回避するため、当初より「コミックス」としてではなく、活字文庫と同じ「文庫書籍」として売り出す戦略を打ち出していった。だが、マンガ文庫の〈書籍〉としての位置付けは、急速な市場飽和に伴い、すぐさま希薄化していく。まず、マンガ文庫の新刊点数増大と過剰配本傾向に伴う、既存の活字文庫コーナーへの浸食が生じるようになる。そのため、書店店頭では、マンガ文庫と活字文庫を切り離して配置するようになり、必然的に、マンガ文庫は「コミック」の商品カテゴリーに組み込まれるようになる。また、収録作品が「古典」に限らず、現行で新書判が稼働している比較的「新しい」作品が目立ち始め、「古典」としてのニーズよりも、10年以内の比較的新しい絶版作品の復刻や、巻数が多すぎてコミックコーナーから外された長期連載作品の再入手のための判型として次第に位置付けられるようになっていった。その結果、出版物としての在り方を「コミックス」と同義とする共通見解が産業的に共有されるに至り、「マンガ作品の文庫化」より「コミックスの文庫化」の性格を強めた「コミック文庫」という呼称へと変化していったのである。
以上のマンガ文庫の産業的位置付けの変容を一言でまとめるならば、それは「コミックス」という枠組みを介した、マンガ文庫の「脱書籍化」とも呼べる変化であった。マンガ文庫は「文庫」としての在り方をめぐって常に多義的な解釈に開かれてきたが、〈雑誌-コミックス〉というマンガ出版固有の枠組みの中に組み込まれることで、その「書籍性」は活字文庫のそれとは異なる、主流のマンガ出版における周縁の文化≒サブカルチャーに位置付けられざるをえない。このようなマンガ文庫に見られる両義的なメディア特性は、「雑誌文化」として紋切り型に論じられやすい60年代後半以降のマンガ出版物観に対し、改めてそのメディアとしての「不透明さ」を問い掛ける契機になりうるとの見解を示した。