キャラクターの銅像にみる出版文化と地域振興 楠見清 (2014年11月 秋季研究発表会)

キャラクターの銅像にみる出版文化と地域振興
――マンガのパブリック・アート化と大衆コンフォーミズム

楠見 清
(首都大学東京准教授)

 近年,マンガやアニメのキャラクターの銅像が日本各地に多く見られる。「水木しげるロード」(1993年,鳥取県境港市)がシャッター商店街を活性化する試みとして注目を集めてから,物語の舞台や作者にゆかりのある場所の地域振興や観光開発を目的に,新しいまちづくりのシンボルとして増加傾向にある。
 これらは従来,駅前や公園などに設置されてきたモニュメントやパブリック・アートに代わるものといえる。マンガやアニメの登場人物が国民的キャラクターとなり,さらにそれが公共のシンボルになるというメカニズムには,出版や映像メディアが大きく介在している。この動向に着眼し,2014年4月から7月まで首都大学東京大学院の学生15名とともにキャラクター像のフィールドワークを行い,東京および近県の15の地域,56の像の記録撮影と設置環境の検分,設置に至る経緯の調査を行った。
 キャラクター像の最も古い事例は「鉄腕アトム像」(1983年,埼玉県飯能市)だが,物語に登場する架空の人物像はさらに百年前にまで遡ることができる。コペンハーゲンの《人魚姫像》(1913年)はアンデルセンの「人魚姫」を題材に新たな観光名所として集客目的で作られた。日本でも《伊豆の踊子像》(伊豆半島各所),《貫一お宮の像》(1986年,熱海市)など小説の登場人物の彫像が70年代の文学館ブームのなかで設置されている。その後,文学館に替わってマンガ家の個人ミュージアムが増加するとともにキャラクター像が現れ,現在「聖地巡礼」と呼ばれるオタク・ツーリズムへとつながっていく。
 元来モニュメントは,国や地域,集団によって大きな意味をもつ出来事を記念したり,重要な人物の功績をたたえたりするために建造されるもので,宗教的なアイコン(偶像)とは別に,国民や集団の結束やアイデンティティーの形成を促すシンボルとして設置されてきた。モニュメントは社会状況や大衆的な人気(ポピュリズム)を背景にしており,時流とともに主題や題材が流行のように変化していく傾向にある。
 現代のキャラクター像は特徴として,①大衆的で親しみやすい,②知名度があり,集客効果がある,③政治的に中立で行政や市民が扱いやすい。それは明治以降の近代化や修身教育,戦後の平和運動のシンボルといったイデオロギーとは関係なく,出版やテレビ放送などのメディアによって形成された国民性を映す鏡として,メディア社会やサブカルチャーが生み出した「大衆コンフォーミズム」といえる。
 パブリック・スペースに置かれるパブリック・アートは,新しい公共性を形成する装置として機能する。大衆的で親しみやすいキャラクター像は,先鋭化しすぎた前衛彫刻や環境芸術に対する反動でもあった。
 出版(publication)が公共性(publicness)と同じ語源にあることを考えると,小説やマンガの登場人物が彫像化され,パブリック・アートに接近していくことにはメディア文化史的な必然性を読みとることができる。従来,出版を通じて共有されてきた物語は,20世紀には視聴覚メディアの発達によって音像化(ラジオドラマなど)や映像化(映画やテレビなど)がなされ,21世紀においては紙の書物から電子書籍への移行とともに情報化=脱物質化の過程にある。物語の登場人物を彫像として実体化し,地域や時代のシンボルとして公共的に取り扱っていくことは,物語がディジタルな情報環境で共有され,冊子本というフィジカルなリアリティーを喪失していくことに対する補完的作業といえるのではないか。
 2014年1月,声優の永井一郎が亡くなった際に「サザエさん」の磯野波平像の前に献花や供物が置かれたり,同年6月のワールドカップ開催時期に「キャプテン翼」の像に青いミサンガが巻かれたりした。いずれも現実の出来事に対する人々の思いがキャラクター像に投影された事例だが,故人の墓や実際の出場選手ではない架空の人物像に向けて自然発生的に祈りが捧げられるのは設置者の企図を越えた現象といえる。キャラクター像は読書以外の行為によって,私たちが物語というコンテンツを共有する際のメディウムとして活用されている。
 まちおこしを目的にキャラクター像を設置するケースは,2000年代以降ブームとなったもうひとつの地域活性の立役者である「ゆるキャラ」と並び,今後しばらく続くだろう。だが,集客力や経済効果という評価軸しか与えられなければそれは店先の招き猫や立体看板に等しく,世代が代われば別のものに置換されてしまいかねない。文化的に求められるのは,原作の魅力をいかに私たちが理解し,地域との関わりや生活のなかでいかに共有していくか,その仕掛けや取り組みといえる。これまで図書館や書店が担ってきた物語の公共化の隙間で,それぞれの地域に根ざした新しい物語性の共有が行われていることに出版界の着目を促したい。