中村 健
(大阪市立大学学術情報総合センター)
2014年度日本出版学会春季研究発表会で掛野剛史会員は,「大正期大阪毎日新聞の出版展開――倉敷市蔵薄田泣菫文庫資料から」で大阪毎日新聞(以後,大毎)の出版事業の展開の把握の難しさを課題にあげた。この投げかけに対し,当時の新聞事業構想を基に考察を行い,大毎の出版事業の最初の成功例である『毎日年鑑』発刊時の状況と「新聞事業に対する考え」「編集組織」「購読環境」から検討した。
1.『毎日年鑑』とは
明治43年12月から数年間発刊された「毎日便覧」(四六判,50頁)が前身。大毎社長の本山彦一発案,河野三通士(外信部)と薄田泣菫(学芸部)が企画編集にあたり,大正9年版(大正8年11月創刊)発刊。特集記事が多く収録されているのが特徴である。大正9年版は8万部,大正10年版は12万部,震災前後は30万部売れた。定価1円で,サイズは128mm×185mm,700頁前後,重さは500g(大正11年版,12年版を計測),独自の分類体系に基づいた目次(資料種別(記事・統計及び一覧)―国別―大項目―小項目)をもつ。新聞取次店・書店で販売され,学校,図書館,銀行,会社,官庁で利用された。編集を担当した人物として薄田,河野のほかに学芸部で出版部と兼任しのちに司書として活躍した毛利宮彦がいる。三人の専属担当がおり調査課が担当したが,それ以外は,適宜,人材を集めて「アルバイトのような形」で編集を進めた。
2.記事検索の相違
例1『毎日年鑑』の目次分類の変化(紙幣の流通高を例に)
・大正12年版(4階層)統計及一覧―経済産業―金融―正貨現在高
・昭和4年版(6階層) 統計及一覧―人文―経済―金融―通貨―紙幣及銀行券流通高
・昭和5年版(3階層) 経済―金融―紙幣及銀行券流通高
※五十音索引の「シ」に「紙幣及銀行券流通高」の語あり
例2『朝日年鑑』の目次と索引(紙幣の流通高を例に)
・大正15年版 目次(1頁)では検索不可能
五十音索引「シ」―紙幣―紙幣及び銀行券流通高(3階層)
・昭和5年版 経済―金融及び資金―紙幣及銀行券流通高(3階層)
五十音索引の「シ」に「紙幣及銀行券流通高」の語あり
各社年鑑に違いがあるとすれば記事の検索方法であり,目次を重視する『毎日年鑑』と五十音索引を重視する『朝日年鑑』が対照的である。『毎日年鑑』は刊行時から,独自の分類をもつ目次をもち,索引(いろは・五十音)をつけなかった。一方,『朝日年鑑』は五十音索引と目次の二つで記事を探すようになっている。『朝日年鑑』大正15年版は,目次1頁,五十音索引20頁と大きく五十音索引に依拠している。『毎日年鑑』は,それを意識していたようで翌大正16年版の広告(『大毎』大正15年9月29日付2面)に「目次も詳細懇切,索引に優るものがあります」と目次の優位を強調した。『毎日年鑑』の分類は,資料種別(記事・統計及び一覧)―国別―大項目―小項目という多階層な構造であり,少ない目次頁でありながら見やすい内容となっている。しかし,情報量の増加に対応するため『毎日年鑑』も昭和5年版から索引をつけた。
3.新聞社における「新聞」事業とは
出版事業の位置づけを考えるにあたり新聞社が新聞事業をどのように考えていたか考察したい。特に毎日,朝日の両新聞社の意識は最新情報を配信するというものだ。矢野正世「新聞は斯くありたし」などの記述のように,新聞社はより一般読者の知識欲にこたえるべきという主張が出てくる。大毎は,昭和4年3月15日に「読者相談部」を開設し,海外旅行,移民,書籍,学事,租税,保健衛生,映画教育相談,農事相談,掃除など家庭の悩みの相談に応じる部署を設置した。本社,関門,福岡,広島,名古屋,金沢に相談部を設置し昭和7年1月までに44658件の相談を受けた。
新聞社は調査部を設置し自らがもつ様々なデータを活用した事業を進めた。本山彦一は「新聞改造論」で,世界調査部を設置して,全世界の現代活動社会の一般の調査をし,調査結果を書籍化,雑誌化,編集のための内部蓄積化を提案している。調査部は分類を施し索引化し付加価値をつける。出版部はその調査結果を内容に応じて「月刊」「日刊」「年鑑」「書籍」と刊行形態を変えて出すことである。
新聞社は,出版社にはない豊富な資本と人材をもち,日刊以外の定期刊行物を出す点に出版事業の意味を見出した。一方,読者にとって,新聞を購読することは同時にオプション価格を払えば刊行頻度と内容の濃度の違う「知識」を得ることが可能となり,しかもわざわざ書店に出向かなくても,自宅に配達されるので,便利な「知識」の獲得手段といえる。しかし,大毎は大正7年6月に調査課を発足させ,大正14年に調査部としたが,出版部は大正10年に発足したものの人員は少なく,兼任者が多く,構想ほど調査部事業を拡大できなかった印象だ。
4.「知識」提供事業のなかの『毎日年鑑』
『毎日年鑑』は,編集組織において不安定な面もあったが,新聞の付録ではなく独立した定期刊行物として,日刊以外の「知識」提供形態の成功事例であり,総合的な事業体形成の橋頭堡として意義を見出す。掛野氏の指摘にあった『毎日年鑑』以外の年鑑の早期休刊や叢書やシリーズもの以外の出版点数の低下という現象は,筆者は,大毎として出版事業を新聞事業上,適正な規模にしたとの意味付けをしたい。各刊行形態に強力な一冊(『毎日年鑑』,『サンデー毎日』,『エコノミスト』)を擁した堅実な体系である。