高田知和
(東京国際大学)
本報告でいう大字誌とは,地域社会のなかでの字,大字,区,自治会(町内会),小学校区,公民館,あるいは旧行政村単位を範域として,歴史や民俗・生活を公的にまとめた刊行物のことである。したがってこれは,日本全国へ広く流通していくものではなく,実際のコミュニティと言ってよい狭い範域で読まれることを念頭に置いて作られたものである。自治体が公的に編纂している自治体史についてはこれまで歴史学などの分野で多く検討されてきたが,大字誌については歴史学でも,また地域社会を研究対象としている地域社会学でもさほど検討の対象とされて来なかった(沖縄県の「字誌」を検討した研究は後述のようにある)。また出版研究という立場でも,このように狭い範域を念頭に置いて出される刊行物についてはあまり検討されて来なかったと言ってよい(報告者は大字誌の他にも長野県飯田下伊那地域の伊那史学会が出している『伊那』誌のように郷土史団体が出す刊行物にも着目しているが,こうした雑誌についても出版研究の視点からの検討がこれからの課題と考えている)。
他方,地域社会の重要性がさまざまな文脈で言われるようになって久しく,まちづくりや過疎対策,あるいは東日本大震災のような災害への防災という点からも地域社会が再評価されている。本報告では,このような地域社会の重要性の点からも大字誌に着目するものであり,その主旨はこうした地域社会の歴史を,誰がどのように書いていかに刊行してきたのかを問うことでもある。
ところで,かつて長野県で活躍した郷土史家の一志茂樹は,自分たちが暮らしている地域のことではなくて,都会の大学などで専門的な教育を受けて何らかの問題関心を持ってある地域にやって来て調べて成果を出していく歴史の専門家の営みのことを「問題史観」と呼んだ。そしてこれに対して,その地に住んで,「一地方ないし一地域社会のありかた,あるいはその性格,実態,さういうものを研究する」地域史研究の営みがある筈だと,戦後一貫して述べていた(一志茂樹「地方史研究の座」『地方史の道――日本史考究の更新に関聯して』信濃史学会,1976)。また一志に影響を受けた近世史家の木村礎も,一つの地域の歴史を調べることを「自前の研究」と「地方史誌」,あるいは論考によっては「「研究者的」地方史研究」と「「郷土史家的」地方史研究」の二つに区別して考えていた。これらはいずれも,研究者が研究目的で一つの地域のことを調べるのか,それとも地域の人たちが自分が暮らす地域のことを調べるのかの違いであると言ってよい。
これらの指摘を念頭に置いて考えるならば,大字誌は範域が上記のように狭く,現にその地区で暮らしている人たちが中心になってその地区の歴史や民俗,人びとの生活習慣について記録しているものであり,歴史や民俗の専門家が調べて刊行する出版物とは大きく異なっているといえる。そして大字誌の担い手たちは,歴史学や民俗学の専門家ではない普通の住民たち(非専門家)であり,彼らが自主的に編纂刊行した歴史書という性格を強く有するものなのである。
大字誌の基本的な性格については昨年度の『会報』を参照されたいが,沖縄県では「字誌」と呼ばれ,他の諸県でも郷土史(誌),部落史などの名称で作られてきた。編纂の動機については社会教育の立場から沖縄県の「字誌」を検討した末本誠氏が「地域の変化」と「危機意識」の二つを挙げているが,この二つは別個のものではない。前者には景観の変容と共同体の「ゆい」の喪失など精神的な次元での変容が含まれており,変容以前の姿を今のうちに記録しておきたいというものが「危機意識」である。また大字誌の編纂委員会など編纂の実際の現場で話を聞いてみると,「子どもや孫のためにつくる」ということもよく聞かれる。これらは編纂の主体に高齢者が多く,またその地域のなかの新住民よりも旧住民が多く関わっているからである。そしてこれらのことは,当然ながら大字誌が非常に強い当事者性を持つものであることを意味する。このように,大字誌とはその地区で生活している当事者が自分たちの地域の未来を見据えて書いたものなのである。
なお大字誌は,それが対象とする「地区」がどこからどこまでなのか,刊行するにあたって誰の目にもはっきりしている点にも特徴がある。ここからここまでの範域の歴史を書くという明確な意識があり,それが誰の目にも明らかであることが前提となっていると思われる(「ウチの地域のことが他の大字誌でどうして書かれているのか」という問題が発生したことは寡聞にして知らない)。その意味で,大字誌は厳密には「地区史誌」というべきものであろうかとも報告者は考えている。
*本報告は,平成24~26年度科学研究費補助金基盤研究(C)「地域史の編纂と歴史意識の形成――自治体史・字誌に関する基礎的研究」(課題番号24530649,研究代表者:高田知和)の研究成果の一部である。