樋口摩彌
(同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程)
はじめに
本報告は,京都で明治維新以降20年間に発行された新聞・雑誌全93紙(誌)の発行元(または印刷所。当該期においては,発行元と印刷所が不分明である。)を分析し,木版から活版への印刷技術の転換を明らかにしたものである。その技術転換は近世以来の出版界を一新することとなり,近代化を促進する京都府政の関与もみられる。本報告では新聞・雑誌の印刷所および発行元,換言すると紙媒体での情報発信の際に必須過程である印刷所に焦点を当て,そこから明治初年の京都における情報発信の一端を明らかにする。
研究対象となる雑誌・新聞
明治期に発行された新聞・雑誌については,宮武外骨・西田長寿によって「明治新聞年表」「明治雑誌年表」(『明治文化全集』新聞・雜誌篇所収)が記される。しかし年表が纏められてから半世紀弱が経過しており,新史料が発掘された現在,年表には示されていない新聞・雑誌も多い。つまりこの年表には,正確性において致命的な欠点があるといえる。
報告者は,明治維新後20年間に京都で発行された新聞・雑誌の再調査を行い,これまでの研究の約倍である全93紙(誌)を確認し,それらの題号・創廃刊日・発行元(印刷所)をまとめた。
明治初期の発行元(印刷所)
前述の93紙(誌)を概観すると,以下の7つの主要な発行元が浮かび上がった。以下,順に名称/社主及び主な関係者/所在地を示す。
(1)村上勘兵衛/村上勘兵衛/東洞院通三条下ル
(2)煥文堂/松本孝輔・中川重麗/河原町通三条上ル下丸屋町
(3)點林堂/山鹿福三郎・加納清太郎/烏丸通三条北入町三十三番戸
(4)雄文堂(後の日報社・京都日日新聞社)/藤元俊随/寺町通高辻上ル六〇六番地
(5)西京新聞社(又は桂好文堂)/桂彦蔵,桂彦次郎,早野作兵衛/松原通室町西入,又は万壽寺中之町
(6)太田活版所/太田権七/三条高倉西へ入,後に寺町蛸薬師下ル
(7)叡麓社(後の商報会社・京都新報社・日出新聞社等。今日の京都新聞社)/村上作夫・浜岡光哲/一條通烏丸西へ入廣船殿町,他三条通東洞院東入ル等。
本報告では(4)(6)から活版印刷の風景を,(1)(2)から木版から活版への技術転換を述べる。
活版印刷の風景…太田活版所を中心に
明治13年(1880)3月15日,朝日新聞社が活版印刷機の費用を出資し,三条高倉西菱屋町に西京分局が開設される。西京分局は太田権七に委託されていた。4月17日,西京分局から朝日新聞の姉妹紙『常盤新聞』が創刊されたが,同年5月14日に廃刊となり,西京分局は太田活版所と名を変える。また当時発行されていた新聞・雑誌『西京画入新聞』『京都日日新聞』『我楽多珍報』は,後に太田活版所に統轄されていく。その後社屋を寺町通蛸薬師下ルに移転し,新聞の他,駸々堂発行の『絵入人情 美也子新誌』などの印刷を請け負った。『都の魁』(明治16年(1883)発行)には太田権七の社屋の様子が描かれている。太田は活版印刷の他,郵便事業や薬屋も兼業していたようである。
木版から活版へ
まず書林村上勘兵衛が活躍した時期である慶応4年(1868)~明治7年(1874)を確認する。村上勘兵衛は,慶長年間(1596~1615)に創業した京都の老舗書林で,明治初年は10~11代目にあたる。慶応4年(1868)2月,村上勘兵衛は『太政官日誌』の印刷を命じられ,以後,御用書林を名乗ることとなる。
次に煥文堂が出現し,活版印刷が主流となっていく明治8年(1875)前後の状況を述べる。「京都府史」(京都府立総合資料館蔵)によると,明治7年(1874)6月23日,京都府は松本孝輔に活版印刷機を払い下げた。その後松本孝輔は,河原町三条上ル下丸屋町に活版印刷所,煥文堂をひらき,タブロイド判の新聞『煥文新誌』(後に『平安新聞』と改題),『萬有雑誌』や『京都府令書』等,教育や京都府政に関わる刊行物を発行した。
ドイツ製の活版印刷機の導入の経緯,またその活版印刷機の動向を追うことは,京都府が推進した勧業や教育事業や,それらに関わる民間の関係者を明らかにすることにつながる。
まとめ
本報告では,明治初期の京都に7軒(木版印刷1軒・活版印刷6軒)の新聞・雑誌の発行元があったことを確認した。明治維新後から約7年間,京都の情報発信を一手に支えたのは老舗の書林村上勘兵衛であった。しかし明治7(1874)~8年(1875)に木版印刷は姿を消し,活版印刷が台頭するようになる。村上勘兵衛と立ち替わるように出現した,煥文堂を筆頭とする活版印刷会社はすべて新興の会社であり,技術の転換に伴い出版機構やそれらを支える人物も一新したことが明らかになった。
発行元(印刷所)への注目,つまり情報が移動する経路を明らかにすることは,その情報を取り囲む人脈の解明にもつながり,ひいては近代化政策に大きく舵を取った京都府政の核ともなる部分に切り込むこととなろう。