高田知和
(東京国際大学)
本報告は,自治体史と字誌(区史)という地域史誌がどのように作られているのか,またそれらは地域住民にとってどのような意義があるのかを検討したものである。一般に自治体史とは自治体が費用を負担して当該自治体の範域の歴史や民俗などを書いた刊行物のことであり,字誌(区史)は自治体の下の地区である字,大字,区などと呼ばれる地域がやはり資金を負担して歴史や民俗などを書いた刊行物である。これらに共通しているのは,研究者や郷土史家などが自己責任で書いた歴史と異なり,自治体や字(区)の合意と負担のもとで作られるという点である。その意味で両者とも,ある程度の公共性が求められているともいえる。また,かつては一人の郷土史家が書くことが多かったのが,今日では編集委員会のもとで作られるようになった点でも両者は共通している。
このうち自治体史は全国的に盛んに作られて来たので,今日では編纂経験のない自治体はほとんどない。執筆者は1970年代頃から都市部の大学教員が多くなって学術的には高度になったが,その分地域社会の有りようを真に反映させることができないという批判が起こり,そのため1980年代からは市民参加が説かれるようになった。さらに近年では,編纂にあたってパブリック・コメントを求めたり,ビジュアル版や図説様式で分かりやすいものを刊行するなどの工夫が講じられることも多い。
他方,字誌(区史)については,小地域で作られるため,全国的にどのくらい編纂されているかは判然としない。報告者は全国を万遍なく調べたわけではないが,北海道の他,長野,福井,滋賀,沖縄の各県では比較的多く編纂されてきたと思われる。このうち北海道は「開基○○周年」という契機で作られることが多く,長野県は郷土史が元々盛んな地域であり,福井県・滋賀県では県・市町村のまちづくり事業の一環で多く編纂されてきた。また沖縄県では本島北部(やんばる)をはじめ諸地域で盛んに作られている。例えば本島中部の読谷村では23ある字のうち報告時点で21の字で刊行済みか,現在編纂中である(二度目含む)。字誌(区史)で書かれるのは,当該地区の歴史,民俗,芸能などの他,地域内の全世帯の一覧表や世帯構成,家族写真や住宅地図などを載せるものも多い。それに沖縄県では門中と呼ばれる家系図や全世帯の戦争時の聞き書きが,北海道では入植以来の各家別の家系図・農業経営状況なども書かれている。ただ福井県や滋賀県のように歴史の古い地域ではやはり史実が中心である。また上記以外の諸県でも,町内会や校区単位で作られる設立○○周年という記念誌のなかには,字誌(区史)に含めて考えてよいものが見出せる。いずれの場合も地域の「素人の集団」が書いているのが特徴であり,視線も字(区)内部に向けて作られているといってよい。業者が関わることもあるが,沖縄県で実際に業者に聞くと,アドバイザー的な関与が多いということであった。
ところで自治体史・字誌(区史)を問わず,最大の意義の一つはもちろん記録を残すということであろう。しかし自治体史の場合,近年では前述のように市民との関係性が強く問われ,いったい誰のためになぜ作るのかを反省し,当該自治体の市民自治に役立つものであるべきだと共通して理解されるようになった(とはいえ実際にはそれは大変に難しい)。その点で,「読んで活用してくれる読者」すなわち歴史に関心があり,さらに一歩進んで自分で調べたいという読者を想定した『図説・尼崎の歴史』(2007)を刊行した兵庫県尼崎市の事例がよく取り上げられている。これは,地域の歴史は行政が書いて市民に提示するものではなく,歴史を調べたい,知りたいという市民に対してサービスを提供するのが行政の役割だという考え方を反映したものである。また字誌(区史)についても,記録ということの他に,ミクロな,自分たちにとって大切な歴史が書かれるという意義が重要であろう。沖縄県に関しては末本誠氏が「共同のライフヒストリー」としてその意義を論じているが(『沖縄のシマ社会への社会教育的アプローチ』),報告者が読谷村で聞いた幾つかの事例では地域の次世代に伝えたいという声が多く聞かれた。
最後に報告では,これら地域史誌に共通する課題に2つ言及した。一つは地域住民の多様性であり,単に性別や年齢など属性だけでなく歴史への興味関心の強弱や地域への帰属意識の濃淡に違いがある点をどう考えていくかということ,今一つは刊行された成果をいかに活用していくかということである。地域史誌は,上記の末本氏も述べるように,その編纂をきっかけとして歴史論議が一気に沸騰するということはない。したがってその意義や活用については改めて議論していく必要があると指摘した。
本報告は,平成24~26年度科学研究費補助金基盤研究(C)「地域誌の編纂と歴史意識の形成――自治体史・字誌に関する基礎的研究」(課題番号24530649,研究代表者:高田知和)の研究成果の一部である。