金子貴昭
(立命館大学衣笠総合研究機構研究員)
1.はじめに
報告者は,奈良大学が管理する板木を中心に,板木資料のデジタルアーカイブ活動と公開(注1)を進めており,近世出版研究への活用を図っている。従来,板本中心に行われてきた近世出版研究や板本書誌学に板木という資料を加えることにより,出版や板本が関わる諸分野の研究を刺激することを目的としている。
2.板木の外見
板本の板木は一定の様式を持ちつつも,書型や板木の形式により大きさが様々であり,統一感はない。しかし現存する板木に共通するのは,黒いということである。色摺りが施された板本も少なくないが,大半の板本は墨一色で摺られているといってよい。くりかえし墨で摺られた結果,板木の表面には墨が堆積し,板木は黒色になっていく。
3.「白板」の語意
黒色であることを旨とする板木であるが,板元や本屋仲間の記録(以下,出版記録)を参照すると,「白板」という状態で扱われている例が散見される。
白板は,辞典に「版下を張りつけてない版木」(『日本国語大辞典』),「画・文字・彫刻を施す前の板。あるいは,彫刻する前の板木。」(『角川古語大辞典』)という解釈が示される一方,蒔田稲城により「未だ墨の附いてゐない板木」という解釈も示され(注2),解釈が揺れている。報告者は出版記録における白板の用例を検討し,『出勤帳』の寛政元年(1789)5月21日条(注3),『差定帳』の文化2年(1805)9月5日条(注4)を根拠に,近世出版における白板の語意として,蒔田が示した解釈を支持する。
4.白板の機能
なぜ近世出版機構において板木が白板の状態で扱われる必要があったのか,白板が持つ機能はどのようなものだったかを考察するために,近世出版機構における三つの前提を確認する必要がある。第一に,重類板の存在である。重類板の出来は正規版の板元の既得権益を侵すものであり,近世を通じて板元は重類板に悩まされ続けた。第二に,先学が指摘されるように,相合版(複数板元による共同出版形式)が一般的だったこと(注5, 6)である。同時に,重類板が出来した場合に「正規版元と重類板の版元との間で相版形式」(注7)にする場合が多かったことも押えておく必要がある。第三に,板木は板株(版権)の所在を示す存在であり,相合版で板株を分割した場合,板木もその割合に応じて分割所有していた実態である(注8)。そのありかたは,板元が単独で勝手に重類板を刊行することができないよう,複数の板元に巻や丁をばらばらに割り振るという周到なものであった。以上の前提を念頭に,出版記録に見られる白板の扱われ方を考察した。
『竹苞楼秘録』(注9)に見られる『茶経詳説』の記事は,近江屋庄右衛門が『茶経詳説』(以下,『詳説』)の刊行を企図したところ,既刊『茶経』の類板であることを指摘された一件であり,近江屋に正規版の板元を加えた4軒の相合版とすることで決着している。この際,近江屋が『詳説』の全板木を彫製すること,その板木の3割を『茶経』の板元に「白板」で渡すことが明記されている。
彫製については,正規版の板元の権益を侵しかけた近江屋が,全板木の彫製を負担することで,正規版の板元へ迷惑をかけることなく『詳説』を刊行にこぎ着けるための策として理解できる。しかしこの場合,近江屋の手もとに『詳説』の全板木が揃い,正規版の板元の同意なく摺り置きを作成できる環境になり,第三の前提に関連して問題が生じる。近江屋はその疑いを晴らすため,正規版の板元3軒の所有に帰する板木を,墨を付けない状態つまり「白板」で納品することで,潔白を証明しようとしているのである。
『裁配帳』(注10)に見られる『日本百将伝一夕話』(以下,『一夕話』)の記事は,河内屋茂兵衛が『一夕話』を刊行した後,既刊『本朝百将伝』の板元から類板の申立てが行われた一件である。当該記事の基本構図は『詳説』の記事と同様であるが,すでに『一夕話』が出来している点で異なる。河内屋は1割の板木を正規版の板元に渡して『一夕話』を相合版としたが,この板木は白板ではあり得ない。従って河内屋は,再板時に全板木の彫製を負担し,その板木の1割を白板で渡すことを約束している。
本報告では上述の2例のみを扱ったが,これらは決して特異な事例ではない。報告者は出版記録から同様の例を12例見出している。しかもそれらは,元文3年~明治6年(1738~1873)まで時期的に幅広く分布しており,近世を通じて一般的に行われていた調停方法だったことがうかがわれる。
5.おわりに
-近世出版機構における板木の役割
板木は印刷の道具として近世出版における不可欠の存在であった。しかし本報告の考察から浮かびあがるのは,その範疇にとどまらない板木の役割である。板木には板株の所在を明示する役割もあった。さらに,板元間で重類板の論判が起こった際には,板木は調停のツールにもなり得た。その際,重類板の板元は,彫製した板木に墨を一切付けない「白板」の状態で正規版の板元に納品することにより,勝手に摺り置きを作らなかったという身の潔白を証明することもできたのである。道具として,存在として,板木はまさに近世出版機構における根本装置としての役割を担っていた。今後,近世出版研究においては,板木をより注視する必要があると考える。
注
1 文部科学省グローバルCOEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」(立命館大学),「板木閲覧システム」,http://www.arc.ritsumei.ac.jp/db9/hangi/,2011年10月11日確認
2 蒔田稲城,1968,『京阪書籍商史』,高尾彦四郎商店
3 大阪府立中之島図書館編,1975,『出勤帳 一』,大坂本屋仲間記録第1巻,大阪府立中之島図書館
4 大阪府立中之島図書館編,1981,『差定帳 鑒定録』,大坂本屋仲間記録第8巻,大阪府立中之島図書館
5 宗政五十緒,1982,『近世京都出版文化の研究』,同朋舎出版
6 永井一彰,2009,『藤井文政堂板木売買文書』,青裳堂書店
7 6に同じ
8 永井一彰,2009,「板木の分割所有」,奈良大学総合研究所所報,17
9 安永2年(1774)5月の記事。水田紀久編,1975,『若竹集』,佐々木竹苞楼書店
10 文久元年(1861)11月~文久2年(1862)正月に至る記事。大阪府立中之島図書館編,1982,『裁配帳』,大坂本屋仲間記録第9巻,大阪府立中之島図書館