Insel出版社の100年とKippenberg(1874-1950)の果たした役割
佐藤隆司
ゲーテ,トマス・マン,シュテファン・ツヴァイクなど古典的文学の出版社として,Insel出版社はとりわけ文学愛好者には知られた出版社であろう。また独特の美しい装丁の本の出版社としても知られているかもしれない。本論は同社の100年を振り返り,同社を育て上げたAnton Kippenbergの姿を見ようとするものである。
まず,簡単に同社の歴史をみることにする。1899年文芸雑誌“Die Insel”の発行を最初として1901年Rudolf von Poellnitzのもとで,ライプチッヒにInsel Verlaが発足した。Anton Kippenbergが1906年同社を引き継ぎ,生涯をそこで送ることになる。夫人のKatherinaの名も忘れるわけにはいかない。ナチスの時代には,後年「私も私の社員の誰もナチスに協力したものはいない」といえるほど独立的であった。しかし,1943年空襲で社屋は破壊された。戦後,ライプチッヒがソ連支配下におかれることをおそれた,アメリカ軍文化顧問で,シカゴ大学図書館学教授のDouglas Waplesのすすめで,ブロックハウスなどとともに西独に逃れた。ライプチッヒを愛したKippenbergはそこにも機能を残しておいた。1963年Suhrkampの傘下に入る。現在の正式名称はInsel Verlag Anton Kippenberg GmbH & Co. KG.で,本拠をベルリンにおいている。
Anton Hermann Friedrich Kippenbergは1874年かってのハンザ同盟の盟主ブレーメンに,建築家の息子として生まれた。彼は後年,世界に広がる開放性と狭い町との緊張関係,人々の共同体意識,外面より内面を重視する気風の中に育ったと誇らしげに回顧している。14歳のとき出版人になるべく修行に入る。国内外各地で修行した後,1896年ライプチッヒに移る。そこが第二の故郷となる。ライプチッヒ大学でAlbert Koster教授の下で最優秀の成績で学位をとる。出版人Carl Ernst Poeschelと知り合い,彼がInsel社を引き継いだのにつれて同社に入ることになった。
出版人としてKippenbergは3つの目標を立てた。1:ゲーテとゲーテ精神の世界文学,2:現代文学には余り手を広げないが着手した以上は長く続ける,3:それらを,良い仕上がりの美しい本で発行する,の3つである。彼が生涯傾倒したゲーテについては,豪華本,大衆本など色々な版で世間に送り出した。現代作家としては,シュテファン・ツヴァイク,ハンス・カロッサ,ライナー・マリア・リルケなど今日から見れば古典的作家が含まれる。彼は常に芸術的素養をもった造本家,イラストレーター,印刷家を身の回りに置いていた。美しい本の代表例として,1912年にはじまった“Insel Bucherei”というシリーズをあげることができるだろう。
彼のもう一つの面は,ゲーテ収集家という面である。早くも修行時代スイスでゲーテのフランス語版を手に入れて以来,ゲーテのあらゆるものを収集していた。シュテファン・ツヴァイクもゲーテ収集家で,その面で2人はライヴァルであった。ツヴァイクはユダヤ人であり結局ブラジルに亡命したのであるが,そういうこともあって彼のコレクションは分散してしまった。ブレーメン生まれで世界に対する読みが早く,実際家でもあったKippenbergは厳しい時代にいちはやくコレクションを疎開させていた。現在はデュッセルドルフにGoethe Museumとしてそっくり残っている。
出版人として彼が心の銘としていたことは「出版人は精神の肉体化を担わなければならない。出版社は詩人の魂を開かれた世界に伝えるための橋である」ということであった。