■ 大衆文学の転換 II ――大佛次郎「由比正雪」・吉川英治「貝殻一平」の明暗
(2009年11月 秋季研究発表会)
中村 健
昨年の秋季発表会では,昭和3年から4年の大阪朝日新聞(以下大朝),大阪毎日新聞(以下大毎)夕刊の連載小説の紙面をたどり大衆文学の変化を探り出版界との関連を考察し,・作家によってはトレンドの変化にあわせて作品を仕上げることが可能であり,変化についていけるものといけないものに分かれてきた,・流行の傾向や名作を次々にものにすることで作家のブランドが確立される時期になった,・伝記など事実を重視した歴史小説が登場,・社会意識を盛り込んだ歴史小説が登場,の4点の傾向と転換期の兆しが見えたことを指摘した。本発表では,昭和4年から5年にかけての大朝・大毎夕刊の連載小説(吉川英治「貝殻一平」,大佛次郎「由比正雪」)に焦点をあてる。特に「赤穂浪士」で知識人を大衆文学の読者に取り込むのに成功した大佛次郎は,「由比正雪」で社会小説の要素を取り込みさらなる実験を試みたが打ち切りに終わり,一方,吉川英治「貝殻一平」は成功という結果になった。荒正人「大衆文学史」は,「由比正雪」を同作者の「赤穂浪士」「ごろつき船」とともに「昭和の大衆文学の最高水準」の作品と評価している。なぜ,打ち切りに終わったのか? その理由を探りながら新聞紙上で起こった大衆文学の転換点を明らかにしたい。
調査にあたっては,大佛次郎「由比正雪」,吉川英治「貝殻一平」の2作の連載紙面の比較を中心とするが,社会動向を探るために社説などの記事も併用した。この時期の社会問題としては,失業問題,軍縮などが挙げられる。また連載期間中の1月~2月は第二回普通選挙が行なわれた。無産政党の躍進が期待されたが,実際は,浜口雄幸率いる民政党と犬養毅率いる政友会の両陣営の決戦となり民政党の勝利に終わった。
論点として,・大衆文学における技法的な問題,・社会を描くときのテーマと読者意識の乖離,という2点を設定した。そして考察の結果,以下の2点が分かった。
・田山花袋や直木三十五,千葉亀雄の指摘などから,大佛次郎が「由比正雪」で推し進めた心理描写など大衆文学に文学的技法をとりいれた手法が評価されなかったことが分かった。これにより,大衆文学の発展には別の技法が必要であり,講談の要素をどの程度入れるかというゆり戻しの動きが見える。「由比正雪」の失敗と「貝殻一平」の成功は,大衆文学の表現において「講談離れ」を再考させるものであったと指摘できる。口語体表現を取り入れて,書き講談→新講談→大衆文学へと進化してきた大衆文学が,この「由比正雪」で技法的な転換点を迎えたことが確認された。
・当時の社会テーマとして,軍縮,失業問題,革命などいくつか上げられるが,テーマによっては時代小説にあわないものがあり,「由比正雪」のテーマの一つである革命については,当時の無産政党の第二回普通選挙での敗因を分析した大阪毎日新聞の社説「無産党の敗因どこにある」に「第二は,最も重要にしてまた慎重な注意を以て研究すべき点と思はる,無産党それ自身の主義綱領もしくはその概念的立場であると思ふ。即ち無産党の選挙民に対する呼びかけが,大きな反響を與へたか否かである。吾等はこの点について,無産党の唱ふるところが,まだ選挙民大多数の共鳴をかち得ないものと信じる。無産党にも左右の相違があるが,茲では各党を通じて観て差支へないと思ふ。無産党大多数の主張は余りに翻訳的ではないか。余りに外国思想の移植に過ぎはしないか。(中略)聴衆は彼等の舌鋒の鋭さ驚いた,少し平静な情操の持主は,彼等の用語の過激なのに眉をひそめた。高遠な理想の教育を受けてゐない普通人は,彼等のいふ事の余りに突飛なのに目を見張つた。或者は左様な事が,左様な人間社会が,五十年,百年のうちに来るものだらうかと,不思議に思つた。そして選挙民の大多数は,そんな事よりも,今日の政局を政友会に渡すか,民政党にやらせるかを考へなければならぬと思つてゐた」とあるようなリアリティの欠如を読者に与えたのではないだろうか。かえって,「貝殻一平」における主人公が政府軍と幕府軍を行ったりきたりする姿が,政友会か民政党か政権選択に悩む庶民の心情を反映したのではないかと考えられる。
課題としてつづく昭和5~6年から大朝・大毎に連載された直木三十五「南国太平記」,長谷川伸「紅蝙蝠」,谷崎潤一郎「乱菊物語」を対象に,本発表で浮かび上がってきたテーマである「講談」の要素をどの程度盛り込んだか? 社会問題をどのように表現したかを探る必要がある。
(初出誌:『出版学会会報126号』2010年1月)