講演1
「八木書店における複製・復刻出版」
八木壮一(八木書店)
講演2
「大蔵経刊行を通じて考える学術情報流通の将来」
永崎研宣(人文情報学研究所主席研究員)
パネルディスカッション
パネリスト:
永崎研宣(人文情報学研究所主席研究員)
八木壮一(八木書店会長)
湯浅俊彦(立命館大学文学部教授)
司会:
植村八潮(専修大学文学部教授)
〈シンポジウム開催趣旨〉
古典籍や近代資料の複製・復刻出版は,本来,閲覧困難な貴重資料を,研究図書として通常の図書費で入手することを可能にしてきた。さらには図書館に収まることで,より広がりをもって多くの人々に閲覧提供されている。ここでいう「複製出版」とは,底本に忠実な復刻(覆刻),写真製版による影印本,新たに版を起こした翻刻本などを含む出版形態で,それぞれの手法に応じて,専門家による校閲を得て,長年にわたり研究者や図書館に受け入れられてきたものである。今日まで,民間出版社による複製出版が,人文学系学術分野における情報流通の一翼を担ってきたと言っても過言ではない。
一方,デジタル技術とアーカイビングは,デジタル復刻とも呼べる領域を急速に進展させている。複製と保存,流通が容易になることで,図書館や大学機関によるデジタルアーカイブが充実しつつある。国立国会図書館による近代デジタルライブラリーをはじめ,さまざまなアーカイブが,オープン化・無料公開により,インターネットを通して多くの研究者・好事家の閲覧に供されている。しかし,当然のことであるがデジタルアーカイブにもコストはかかり,研究者の要求に応じた制作や画像品質の維持には手間も時間も要することには変わりない。科学研究費が縮小する中で,公的予算に依存したデジタルアーカイブの構築は,将来的な安定が見通せない要素も含んでいる。
長期的,巨視的に見ていくならば,デジタル時代においても民間の複製出版は,一定の品質を保つことで需要があり,購入者数に応じてコストを分割負担するモデルは今後とも有効で,入手容易な価格で提供されていくだろう。古典籍を取り扱える人が限定されている限り,復刻作業は誰でも出来るというわけではなく,ソーシャルな広がりを持つとは考えにくい。商業的な困難を抱えながら,民間の手による複製出版の継続が求められるだろう。
しかし,ひとたび公共セクターにより,デジタル化・オープン化が行われれば,民間セクターの複製出版に影響を及ぼすことは疑いもない。学術出版物は,刊行まで時間がかかり,投資コストの回収が長引く傾向がある。そこにきて,公的アーカイブが予測されるならば,出版社による取組みが萎縮することも考えられる。これは,“民業圧迫”ととらえることもできるが,むしろ人文学の学術情報流通基盤が部分的に毀損することとみるべきだろう。
本シンポジウムでは,デジタル時代に複製出版は,どのように継続されることが望ましいのか。あるいは,どのような形であれば継続されていくのか。オープン化の流れの中で,複製出版を学術情報流通の一形態としてとらえ直し検討した。
基調講演は,デジタルアーカイブについて,ビジネスの立場と研究者の立場のお二人にお願いした。ビジネスの視点として,長年にわたり研究者と共同して出版事業としてデジタル覆刻を手がけてきた八木壮一会員に,研究者の立場からは,人文情報学を専門とし,大蔵経にも関心を寄せて発言をしている永﨑研宣氏をお招きした。
【講演1】
八木書店における複製・復刻出版
八木壮一
(八木書店会長)
はじめに
八木書店では次の様な複製・復刻出版を行ってきた。
1.完全に揃った大部の近代文学雑誌のマイクロ,CD,DVD,デジタル配信による複製
2.日本に500年,1000年と伝わる古典籍の精確な影印出版
3.史学,文学,日本文化研究上必須の未刊資料の翻刻
I.近代文学雑誌の複製
(1)編集製作作業で心がけたこと
①良いテキストを作る。一度作ったら再度作るのは困難
②原本の収集
日本近代文学館蔵書を中心として揃えた。文学館に所蔵がないものは,他の所蔵機関から補う。場合によっては古書の市場で買う(八木書店の強み)。
③複数の同一巻号との照合。切り抜き・欠頁,線引・書き込み頁がないか照合して,裏表紙の刊記が書誌情報として必要なため合本されていない雑誌を探す。撮影原本の決定。
④画像(誌面)の作成
写真図版の解像度などを検査しながら仕事をすすめる。マイクロの場合は98コマのフィッシュ・銀塩フィルム採用。ジアゾフィルムは解像度は高いが,耐久年数は20年~30年なので採用せず。耐久性を考慮して水洗いを二度行う。日本の縦書き(右開き)に合うように,画面を右から左の順で配置。
デジタル化に際しては,TIFファイル。Web版ではPDFファイル。
⑤検索データの作成
目次データは,雑誌目次と本文見出しが異なる場合があるため,本文見出しから検索データを採る。昭和52年に,CTSを使用して作成。ソートをして執筆者別リストを作成。現在はPC用データベースソフトで著作権交渉用のデータまで作成。
執筆者索引用に目次の署名とは別に,執筆者の統一した読みデータを作成する(例:芥川龍之介・河童・餓鬼窟)。執筆頁数を半頁単位で記入,執筆量を集計する。
⑥アプリケーションの作成
検索データと画像データの突合。使い勝手のよいものを作成。
⑦出版権交渉・著作権処理
事前に原本版元の刊行許可を得る。このため編集の時間を確保できた。上記検索データから,執筆量の集計・著作権者の調査(没年・継承者)を行い,一部は日本近代文学館の協力を得て許諾を取る。支払い準備と発送。著作権使用料が少額の場合は切手で支払う。
(2)Web版に至るまでの経緯
①マイクロ版で新潮(1977)・解放・文章世界・新小説・文章倶楽部を刊行。
②国立国会図書館のパイロット電子図書館実証実験に参加してCD-ROM版(1995)を刊行←ここからデジタル化の開始。文章倶楽部・太陽を刊行。
CD-ROMの耐久性が10~20年であることを知り,三井化学の100年CD-ROMを使用。
現在は太陽誘電性を使用。記憶容量の大きさによりDVD版で美術新報・文芸倶楽部・校友会雑誌を刊行(2003)。
③米国のAAS(アジア研究協会)でDVDの保存性が20年30年であること,OSの変化(Windows95からXPなど)への対応の問題を指摘され,ネットアドバンス社と提携してWeb版に取り組む。横断検索が出来るようにする。Web版太陽(2008)・文芸倶楽部・校友会雑誌・滝田樗陰旧蔵近代作家原稿集(中央公論の一部)などを刊行。
II.影印本の製作
内外の貴重古典籍の宝庫である天理図書館蔵書の精確な影印出版を行い,定評を得る(天理図書館善本叢書)。正倉院古文書影印集成,尊経閣善本影印集成,神宮古典籍影印叢刊,東京大学史料編纂所影印叢書などに続いている。
(1)編集・製作方針
①貴重な古典籍原本の善用と保護を主旨とし,広く学術的な調査研究に資すべく,精確精細な影印本文(写真版印刷)で刊行する。
②文字の墨朱濃淡をはじめ,重層的な書き込み,微細な訓点,料紙の質感等,活字翻刻では窺い得ない複雑な原本の様相を可能な限り再現するよう努めた。
③製版は,初期では原本からのダイレクト製版を行い,撮影レンズの歪みを抑え,版の仕上りをチェックしながら,コロタイプを凌駕する仕上がりを得た。その後,影印出版用に厳密に撮影したカラー・リバーサルフィルムをドラムスキャナーによって網撮り製版する方式を導入。近年では高精細デジタルカメラ撮影による画像データ利用等,原本の再現に適宜高精度な製版方式を採用してきた。
④印刷方式は,主にオフセット網目版印刷を採用。現在ではドライダウンなどしないインキ,印刷機を導入。
⑤影印本文に加え,専門の研究者により所収原本についての形態等の書誌情報を中心に諸伝本の中での位置付けなど,簡明にして正確な記述を主眼に置いた解説を収載する。
⑥糸かがり,上製クロス装,貼函入り,堅牢にして日常の連用,長期保存に耐える製本を行なっている。
(2)高精細カラー版の刊行
現在は豊富な原本情報を,格段の高水準で再現するオールカラー版を刊行。また電子画像との比較では,ディスプレイ・プリンタ等の使用環境に左右されない安定した高精細画像を提供する。高精細カラー出版は研究者から高評を得ている。
III.翻刻・出版
2007年より続群書類従完成会の事業を継承して古典籍・古文書の原本の文字の一点一画をおろそかにしない忠実な活字化と体裁の再現を組版で行い,更に校訂注を付す。
→史料纂集 古記録編・古文書編
IV.影印・翻刻〔デジタル版〕
経済産業省「コンテンツ緊急電子化事業」に参加して,史料纂集古記録編等のオンデマンド版を作製。並行してWeb版群書類従シリーズ(全133冊,2014年10月刊行予定)に取組んでいる。
まとめ
八木書店の複製・翻刻出版は,古典籍,古文書,近代雑誌を,常に最新の技術を取り入れ,編集者の眼を通して,専門家の協力のもと,最良の形で学生,研究者に提供する事,すなわち古き良き文化を未来に橋渡しすることで,今後とも出版事業を継続出来ると考えている。
【講演2】
大蔵経刊行を通じて考える学術情報流通の将来
永崎研宣
(人文情報学研究所主席研究員)
筆者は大学・大学院においてインド仏教哲学研究を専攻し,同時に,インターネット技術の習得を行なったことから,主にアジア関係の様々なWebデータベースの構築・運営に携わってきた。いずれも,システムを構築し,コンテンツを専門の方々に入力していただきながら,さらにシステムの改良を重ねていくという仕方で活動を行なってきた。こうした一連の活動は基本的に古典を広く便利に活用できるようにすることを中心として展開されてきており,そこでの国内外の様々な研究者・実務家とのやりとりのなかから,筆者なりに色々なものが見えてきている。そこで,このシンポジウムでは,僭越ながら,筆者の見える範囲での状況認識ということで,シンポジウムのテーマに沿って,今後古典を復刻・校訂出版していく際の難しさと方向性ということについて以下のようなお話と少しの議論をさせていただいた。
筆者は,専門の関係上,古典の校訂出版の大変さについての理解は,『大正新脩大藏經』刊行時の関係者の苦労話に依拠している。そこでは,漢文・日本語・悉曇文字に加えて多少の梵語も入り交じった大量の資料について,限られた予算と時間のなかで世界に貢献するものを創り出そうとする真摯な営みがあった。その具体的な内容については,筆者のブログ(http://d.hatena.ne.jp/digitalnagasaki/ 20140226/1393417764)等を参照されたい。
大部の古典の校訂出版にあたっては,長期間にわたる適切なマネジメントが必要であり,同時に,その内容と事業の意義についても相当程度に理解できる人材が必要となる。そこに出版の専門家の介在は不可欠なものである。また,そのように広範囲にわたる専門性が高度に要求されるにも関わらず,校訂出版とは,通常の著作物と異なり,新規性を追求することはあるにせよ,一義的には創作性を追求するものではない。したがって,この営為を途絶させないためにはその独特さに適う権利保護の枠組みも必要かもしれない。
よく引き合いに出されるドイツの著作権法では,著作物としての保護の対象にならない刊行物であっても,学術刊行物であれば刊行物の作成者に対して25年の保護期間を設定している。たとえば,聖書の言葉をより忠実に再現しようとするNestle-Arland版ギリシャ語新約聖書では,出版者がその研究開発にかかる費用を工面するために著作権保護していることを表明している。(http://www.nestle-aland.com/en/extra-navigation/licensing-policy/)専門的労働に適切な対価を提供しその職能を維持していくことは,古典を継承していく上でとりわけ重要であると言っていいだろう。
一方で,近年,特にWebが隆盛してくるとともに,「オープン」への志向が社会全体に広まってきており,特に公金による学術成果はオープンにすべしとの圧力が強まりつつある。二次利用の許可も含めた「オープン」な公開には多大な可能性があり,結果として文化の発展へとつながることにも大きく期待できるところである。その一方で,オープンでないことのデメリットも広く共有されつつある。孤児著作物問題はもちろんだが,デジタル時代に即した利便性の高い活用や新しい状況へのスピーディな対応を阻まれるという点でも,オープンでないことのデメリットは大きい。結果として,我国の文化資料が他国と比較して十分に活用されない状況になりつつあり,これまでに築いてきたある種のアドバンテージが損なわれつつあることもやや深刻な問題として捉えられるようになってきている。
このような中,出版社を介さずに古典出版をするという流れも国内外で様々に出てきつつある。筆者が関わっている各種データベースはもちろんだが,立命館大学アートリサーチセンターや国文学研究資料館で開始された日本の歴史的典籍の大規模デジタル化プロジェクト,東寺百合文書のデジタル化公開等,いずれも,程度の差はあれ,オープンに資料公開をするという流れが本格化してきている。
また,再利用可能な形で公開されたデジタル資料は他のサービスと連携してさらに活用することが可能であり,例えば筆者が構築している大蔵経データベースでは,本文をドラッグすると自動的に英訳が表示されると同時に,同じ語を含む英訳例文や論文書誌情報,さらにはその論文PDFファイルへのリンクといったものも表示されるようになっている。
これらはいずれも,オープンな資料・データが公開されているために連携できたものである。ただ,辞書や例文等はいずれも英語であり,日本語でオープンに使えるものが少なく,結果として,国際的な成果を挙げねばならない研究者はともかく,日本の人々に広く気軽に古典に親しんでいただくところまでたどり着けていないのが残念なところである。この意味では,オープンに利用できる日本語の資料・データが公開され広まってくれることを強く願っている。
さて,そのようなことで,現状としては,「オープン」にせずに「有料」で公開することについての説明責任がより強く求められるようになってきているように思われる。そこでは,「出版の専門性」「出版の専門家でなければできないこと」がうまく認識されていないように見える面もあることから,それをより明確に,多くの人に理解しやすいような形で公開するとともに,そういった専門性を通じて研究者業界にどう貢献してきたかということもあわせて明示していく必要が出てきているのではないかと考えている。
また,「オープン」にすることも選択肢に入れた上で,多額であってもきちんと説明可能な内容を伴った金額とモデルを具体的に提示することも必要ではないだろうか。Webでのデジタル情報の提供は安価にできてしまうと思われがちだが,実際のところ,長期間にわたって安定したアクセスを提供するということには相当の費用が必要となるのであり,しかもそれでいて古典としての高い利便性を提供するということになると専門性を持った従事者も必要であり,その費用は決して安価なものではない。そのことが正当に評価された上での「オープン」が可能となるとしたら,それ自体が大きな価値となるだろう。
【パネルディスカッション】
続いて,基調講演の二人に湯浅俊彦会員が加わってのパネルディスカッションが始まった。冒頭に司会から,開催趣旨をふまえた上で,討議の目的について以下の発言がなされた。
サブタイトルにある「大蔵経問題をふまえて」の大蔵経問題とは,NDL近デジにおける大蔵経公開が引き起こしたNDLと大蔵出版との意見対立のことであるが,「ふまえて」とあるように,この問題を取り扱うのではなく,この問題が投げかけた,これからの複製出版のあり方や,今後の学術情報の流通について,取り上げて議論する。したがって,NDLと大蔵出版の論点には言及しない。
これはこれで,よく議論すべき問題でおろそかには出来ないが,当事者を含む,それ相応の場でやるべきと考える。今日のこの場は学術団体が主催する場であり,当事者間問題を第三者がよいとか悪いとか判断する場ではないと考える。また出版学の領域で議論するために,法律論とはせず,パネリストには法学者や法律専門家を呼んでいない。
少しはっきりした言い方をすれば,出版社対図書館という構図では,議論しない。言うまでもなく二項対立で物事を単純にして,批判を応酬したり,理解した気になっていたりしては,将来像は描けないと考える。
IT化が急速に進む中で,学術情報流通が劇的に変化していることは間違いなく,そのため従来のシステムとの間に歪みが生じているのが現在である。「デジタル時代の複製出版」について単に利益追求の視点でとらえるのではなく,学術情報流通のために複製出版が,どのような形であれば今後とも継続されるのかを議論したい。
もちろん,民間出版社の生業あっての複製出版であり,どこまで学術貢献とビジネスとを分けて議論できるか,曖昧なことも承知している。ただし,そこに意志を働かせるのなら,従来のシステムに戻すのではなく,また,立ち止まったままでいるのでなく,国民や読者のためにどのような姿がよい未来なのかを考え,あるべき姿に修正する必要があると考える。
このあと,討論に入った。まず,湯浅会員からは,立命館大学におけるデジタルアーカイブを中心とした紹介があり,学術研究として永続させていくために制度設計や運営体制,資金の点から議論が始まった。八木会員からは,デジタル複製出版する上で,一番困難な点として著作権者の特定であるとした指摘があり,このようなことこそ公共セクターで行うべきであるという点や,デジタルアーカイブの有料化については,永﨑氏から現在無料のアーカイブを有料化することは困難であるとしたものの,ジャパンナレッジのようなBtoBtoCモデルの可能性などが議論された。その中で,Patron-Driven Acquisitionsのような,コンテンツが利用されたら支払うモデルや,米国電子図書館サービスOverDrive社の電子図書館利用者が電子書籍を買える「購入ボタン(Buy it)」,さらに国立国会図書館サーチにおけるDatabase Linkerの紹介があり,図書館と出版ビジネスの連携について議論が及んだ。
その後,会場からの質問も交えて,活発な討議が行われた。
〈大蔵経問題とは〉
2013年6月,国立国会図書館が,近代デジタルライブラリー等で提供する『大正新脩大蔵経』(全88巻)及び『南伝大蔵経』(全70巻のうち21巻)について,一般社団法人日本出版者協議会及び刊行元の大蔵出版株式会社から,「当該資料は,現在も商業刊行中であり,公開中止を求める」旨の申出を受け,インターネット提供を一時停止し,館内利用に限定した。その理由として,国立国会図書館は,「当該資料はすでに著作権の保護期間が満了しており,遠隔地でも広く利活用可能とするため,インターネット公開が望ましい」との基本的立場に変わりはない」が,「直接の利害を有する商業出版者の申出であることに鑑み」,検討期間中,一時停止措置とするとしている。
2014年1月に検討結果,『大正新脩大蔵経』については,インターネット提供を再開し,『南伝大蔵経』については,引き続き公開停止と発表した。
参考:国立国会図書館ウェブサイト(http://www.ndl.go.jp/)