《特別講演》電子出版時代の「校正のこころ」 大西 寿男(「ぼっと舎」主宰)

《2010年“秋季研究発表会”特別講演》

電子出版時代の「校正のこころ」 

大西 寿男(「ぼっと舎」主宰)

 

一 デジタル時代の校正のいまと未来 

 本の歴史は5000年におよびますが,この20年のあいだに,出版と活字メディアのあり方が激変しました.

  ワープロ,パソコンの普及,DTP,インターネット,携帯電話という手立てを得て,権力者や専門集団の支配・専売としてではなく,だれもが個人で情報をみずから不特定多数に発信できる時代が,いよいよ到来してきています.これを,グーテンベルクが出版を教会の密室から世俗の世界に解放して以来の,“第二の出版革命”と呼んでも過言ではありません.

 と同時に,電算写植機からCTS,DTPへの移行に伴い,データ入稿があたりまえとなり,同音異義語の変換ミス,組版の乱れ,漢字の字体や文字コードの整合性など,新たな問題も生じてきました.

 さらに,深刻な不況のため,出版社の自転車操業,コスト削減は年々厳しさを増しています.

 校正の現場でも,従来の引き合わせ/言葉を正すのが中心の校正から,短期間で草稿レベルの原稿を完成型にまで練り上げる素読み/言葉を整える校正へと,仕事の質と力点がドラスティックに変化しつつあります.

 

二 校正の原則と役割 

 校正者は,言葉を自律した“いのち”として迎えます.あたたかな言葉はよりあたたかく,冷たい言葉はより冷たく,言葉の持って生まれてきた力を最大限にひきだそうと努めます.そして,その根底には「積極的受け身」(active passive)の態度があります.

 「積極的受け身」とは,受け身となることを主体的に選ぶ,言葉に寄り添い理解するための校正の方法なのです.

 校正とは,出版をはじめとする表現物のあるべき姿を,創作者自身が再発見するのを援助する仕事です.つまり,校正者は言葉をエンパワメントする,力づけるカウソセラーであり,言葉の助産師さんである,ということです.

 編集者も,もちろん,プロデューサーとして,作品の誕生に立ち会います.ですが,編集者と校正者とのいちばんのちがいは,生身の人間と向かいあうのか,純粋に言葉とだけ向かいあうのかの,立ち位置の差です.

 本づくりのチームワークでいえば,著者と読者の顔が見え,この原稿には一冊の本としてどんな形がふさわしいのかを考えるのが,編集者です.製作・組版やデザイナーは,編集者が描いたラフ・スケッチをもとに,原稿に具体的な本の肉体をダイレクトに与えます.そして校正者は,それらすべての具体性から一歩身をはなして,ゲラに受肉された言葉と一対一の対話の時間に沈潜します.

 そのとき校正者は言葉にたいして,疑いつつ信じるのでも,信じつつ疑うのでもなく(それならば簡単です),信じることと疑うことを同時にします.

 言葉には,変化したい/定着したいという相反する性質があります.また,不特定多数へと向かう力/排他的な力の相克もあります.その性質と力が,行間を読むのでもなく,言葉の裏を嗅ぎとろうとするのでもない,言葉へのあたたかく冷静なアプローチを要求するのです.

 校正の仕事とは,ゲラとの対話にほかなりません.それは,編集の読みとはまた別の,特異で純粋な言葉とのつきあい方なのです. 

 これまで,校正の仕事は“間違い探し”と誤解されてきました.たしかに,誤りや不備を指摘することは,校正作業のひとつの要です.ですが,それと同時に,疑問や確認のチェックを出さない,「この文章のこの箇所はこれでよい」という判断をも校正者は下しているのです.前者を校正作業のネガとすると,後者はポジの関係といえます.

 校正はなぜ必要か? それは,本という“商品”の品質を保証する,危機管理の重要かつ不可欠な一部門だからです.内容は編集が,造本は製作が,装幀はデザイナーが保証し,校正は言葉の表現の質を,裁きではなく,正確な公平さをもって保証します.

 “間違い探し”から「品質保証」へ.認識を改めることが求められています.
 

三 校正者の「人間宣言」 

 一冊の本を出版するとは,いわば,一隻の船をつくりあげ,読者という大海原に船出させることです.

 その一連の工程のなかに校正の仕事はあり,また,本づくりの工程は,本─言葉─人間─世界─宇宙…といった,時間と歴史の広がりと変化のただなかにあります.

 校正者は,ゲラと向かいあういまこの瞬間,言葉の宇宙のどこに自分がいて何をしているのか,つねに自覚していることが必要です.でなければ,“木を見て森を見ない”刹那的な校正におちいってしまうでしょう.

 校正という仕事は,いくらでも買い叩ける下請けの,言葉を自動修正する便利だけれども小うるさい機械ではありません.こころをもった生身の人間であるからこそ,人間の言葉を読みとり,すくいあげることができるのです.

 校正者は,編集者や製作者と対等に一冊の本を協働して制作する,一人ひとり名前をもった専門職です.そのことを,校正者のみならず,出版にたずさわる者の共通理解にしたいと,私は切に願ってやみません.

 ●プロフィール
 1962年,兵庫県神戸市長田区に生まれ育つ。
 1988年より,東京で校正者として働くかたわら,編集・DTP・手製本など自由な本づくりに取り組む。
 校正の仕事では,岩波書店,集英社,河出書房新社,作品社,藤原書店,三省堂,新潮社,日経BP社などの外部校正者として,文芸書,人文書を中心に,実用書や新書から専門書まで,20年にわたり幅広く手がけてきた。
 その経験をもとに書き下ろした著書『校正のこころ積極的受け身のすすめ』(創元社,2009年)が,“これまでになかった,包括的な校正の方法論”として反響を呼ぶ。
 1998年,校正と本づくりの個人出版事務所・ぼっと舎を開設。
 http://www.bot-sha.com/

●著書紹介
『校正のこころ』大西寿男著 創元社 2009年刊
 四六判 上製 240頁 定価2100円(税込)
 ISBN978-4-422-93217-0

 DTPやデジタル媒体の急速な普及で,グーテンベルク以来の第2の出版革命期を迎えた現代に,言葉を吟味し,正し,整えるという校正の仕事はどうあるべきか。
 だれもが不特定多数に情報発信できる時代にこそ求められる校正の方法論を,古今東西の出版校正史をひもとき,職場で得た経験則とともに解き明かす。
 日々,言葉と向きあう出版人へ,そして言葉と本を愛する人へ贈る,従来の校正実務・技術論を超えた,これまでにない包括的な校正論。