第39回日本出版学会賞の審査は、「出版の調査・研究の領域」における著書および論文を対象に、「日本出版学会賞要綱」および「日本出版学会賞審査細則」に基づいて行われた。今回は2017年1月1日から同年12月31日までに刊行・発表された著作を対象に審査を行い、審査委員会は2018年2月5日、3月12日の2回開催された。審査は、出版学会会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著作および論文のリストに基づいて行われ、その結果、日本出版学会賞1点、同奨励賞2点を決定した。
【日本出版学会賞】
竹岡健一 著
『ブッククラブと民族主義』
(九州大学出版会)
[審査結果]
本書は、19世紀末から1980年代にかけてのドイツにおいて著しい発展を遂げたブッククラブの盛衰を時代の変遷と共に精緻に論じたものである。一般にブッククラブといえば、本を安価に提供する会員制組織といった安易なイメージで捉えられがちだが、本研究はそれを覆し、そこに共同体gemeinschaft形成の契機を見出した。
本書では、数あるブッククラブをその機能的、思想的特徴に従って分類、検討し、それぞれに詳細な分析を施しただけでなく、ブッククラブとはそれまで読書に縁のなかった中・下層の人々に広く書籍を提供する「読書の民主化」をもたらす存在であったことが明らかにされる。さらにその「民主化」についても、かつて富裕層に限定されていた読書をより広い社会層に拡大するいわば啓蒙的機能をもっていた1945年以前の「古典的ブッククラブ」の時代と、既存の書籍販売業者との共存を図りながら提供品目を拡大させていった戦後のベルテルスマン読書愛好会に象徴される「現代的ブッククラブ」の時代との質的相違において論じられている点が興味深い。著者は、現代のブッククラブが単なる書籍販売団体を超えて多角化し、「余暇産業」へと変貌していった姿に、文化状況の反映とともにブッククラブ衰退の予兆を見るが、これは現代の出版界の状況を考える上でもアクチュアルで示唆的な視点を提出しているものと思われる。
そして本書第II部では、戦前のドイツ家庭文庫のような民族主義的性格を帯びたブッククラブおよびその母体となったドイツ民族商業補助者連合のような中間的身分層がナチズムに取り込まれていく過程を論じることが主要なテーマとされている。ドイツでブッククラブという存在が大きく伸長したワイマール期、資本家とプロレタリアートのあいだの中間層が自分たちの身分を護る過程でナチズムに接近していったという指摘は、社会の大衆化の問題を考える上でも極めて興味深い論点といえよう。ブッククラブに関して調査された一次資料の量は膨大であり、その史料的価値は非常に高い。一方、渉猟された資料からあぶりだされた知見の豊かさに比して、そもそも民族主義とは何か、ナチズムとは何か、ファシズムとは何か、「民主化」とは何を意味するのかといったことへの明確な定義づけが見られないことや、また「民主化」されたドイツ国民の読書空間においてマクロにではなく個々の読者がどのように思想の渦に巻き込まれていったのかということには紙幅は割かれていないが、それらの問題についても興味をそそられた。次なる研究の展開を待ちたい。だが、それでもなお、流通面に着目されがちなブッククラブという共同体(ゲマインシャフト)を思想空間形成の契機としてとらえるという視点は非常にユニークなものであり、日本出版学会賞にふさわしい研究と評価する。
[受賞のことば]
竹岡健一
このたびは,拙著に日本出版学会賞を賜り,心から感謝いたしております.植村会長を始め,会員の皆様方,とりわけ拙著を詳しく読み,評価してくださった審査委員の皆様に厚く御礼申し上げます.
拙著は,おおむね2009年から2016年にかけて行ったドイツ家庭文庫とブッククラブに関する研究をまとめたものですが,日本ではこれまで,ブッククラブが研究対象とされることはほとんどなく,わずかにイギリスとアメリカのいくつかのブッククラブに関する研究が散見される程度でした.その意味で,拙著を通じて,ドイツにおいてブッククラブが広く大衆に受け入れられる形で様々な社会的役割を果たし,長年にわたる公的な議論と研究の蓄積がみられることに注意を喚起し,文学研究や書籍研究の対象としてのブッククラブの意義を明らかにすることができたとすれば,大きな喜びです.
また,もう一つ強調したいのは,ドイツ家庭文庫とブッククラブに関する筆者の研究が,わが国ではあまり知られていないドイツの書籍学分野の研究方法・成果を応用したものだということです.ドイツでは,第二次世界大戦後,九つの大学に,書籍の印刷,普及・販売,受容を主な対象として学際的な考察を行う「書籍学」(Buchwissenschaft)という学問分野が設けられていますが,この分野の知識を得ることは,文学や書籍に関心を持つ研究者にとってきわめて有益だと言えます.私自身は,マインツ大学書籍学研究所を中心に,ドイツにおける書籍学の発展と現状に関する詳しい調査を行い,書籍という研究対象の特色や書籍研究の方法論についても理解を深めました.そうした意味で,拙著は,ドイツ文学研究の成果であると同時に,書籍学分野の知見に基づき,文学作品の仲介過程に重きを置いた研究の成果でもありますので,まさにその意味で,今回,「出版に関する研究」として認められたことを,大変嬉しく思っております.
ところで,ドイツのブッククラブに関する資料は,一次文献,二次文献ともに,日本国内にはほとんど所蔵されていないため,拙著に収めた研究を遂行する上では,ドイツの図書館や大学で資料調査を行うことが不可欠でしたが,そのための資金的援助を,日本学術振興会と国際文化交流事業財団から頂きました.また,出版にあたっては,九州大学出版会に多大なご尽力を頂くとともに,出版費用についても,日本学術振興会から援助を頂きました.これらの施設や団体をはじめ,研究を進めるうえでご配慮を頂いた多くの方々に,この場をお借りして厚く御礼申し上げます.
とはいえ,筆者の研究はようやく緒についたばかりであり,ブッククラブという独特な書籍文化の特色をより深く解明する上で,残された課題も少なくありません.今回の受賞を励みとし,また賞に恥じぬよう,より一層研鑽を積んで行きたいと思っております.
【奨励賞】
野村悠里 著
『書物と製本術:ルリユール/綴じの文化史』
(みすず書房)
[審査結果]
本書は、平成25年に東京大学大学院人文社会系研究科へ提出された博士論文をもとにまとめられたものである。フランスにおけるアンシャン・レジーム期、出版が国王の統制下にあった時期の中でも、とりわけ17、18世紀の製本職人(relieur)の「綴じ製本」ルリユール(reliure)の“技術”に、特に焦点を当てておこなわれた研究成果をまとめたものである。ア・ラ・グレックやヴレ・ネール、フォー・ネールなど、為政者により規程された製本(綴じ)手法の技術的特徴、製本工程や製本構造の変容過程、さらには、同時期の他の手工業者との関係性などが詳細に論じられ興味深い。しかしそれにとどまることなく、逆に技術的変遷が共同体に与えた影響をもとらえてゆく、文化資源学的視点がしっかりと意識されている。国王の庇護下にあった製本技術およびその職人たちの共同体が、革命という“民主化”を契機に衰退してゆく様子が、技術をもった共同体やその技術そのものの変化から抑制的に論じられている。製本という技術に定点を置き、多数の文献等を丹念に収集・参照して調査・検討を重ねており、技術史、文化史としての学術史料的価値が高い優れた著作である。
[受賞のことば]
野村悠里
この度は,拙著『書物と製本術――ルリユール/綴じの文化史』(みすず書房,2017年)に対して,第39回日本出版学会賞奨励賞という歴史と伝統のある賞を賜り,大変光栄に存じます.日本出版学会関係者の方々に深く御礼申し上げます.
本書は,金箔押しの技術が高度に発達したフランスの装幀の歴史を取り上げております.二十世紀前半に至るまで,パリの書店では仮綴本が販売され,読者は好みに応じて製本工房に注文し,革装本に仕立て直すことが行われておりました.製本職人はモロッコ革や仔牛革で表紙を包み,箔押し職人は金箔で模様を装飾し,背表紙にタイトルを刻印します.本書は,フランスの伝統工芸製本として知られるルリユールを,そのルーツとなったアンシャン・レジーム期の王権の出版統制に遡って分析しています.
私はこれまで,ルリユールというフランスの読書文化について,製本職人の「綴じ」の技術を中心に研究を続けてまいりました.研究の過程は,あたかも三百年前の暦を抱えて,パリの製本職人の工房を一軒一軒たどるようなものでした.十八世紀には王権の出版統制のもと,製本工房の開業地域はセーヌ河左岸の大学周辺に定められておりました.本書『書物と製本術』では,ソルボンヌ広場で開業し,ルイ十五世の王室製本師となったパドゥルー家という一族の五世代にわたる工房の継承を取り上げております.調査の過程では,王室製本師パドゥルーの創作した装幀を検証する機会を得て,その本づくりの情熱の一端に触れることができました.また,フランス革命を前にして,発禁本を販売する行商人へと転落していく一族のドラマチックな物語を目の当たりにいたしました.
長い時を経て現代も,出版や読書の文化を次の世代へ伝え,継承していこうという情熱は変わらないような気がいたします.今回の受賞作となりました『書物と製本術』も,出版社みすず書房の編集者,制作者,営業部の皆様の本づくりの情熱のおかげで,多くの読者に届けることができました.今後とも,読書の愉しみや本の魅力を伝えられるよう,尽力していきたいと考えております.最後になりましたが,このような貴重な機会を頂きましたことを,心より感謝申し上げます.
【奨励賞】
田島悠来 著
『「アイドル」のメディア史――『明星』とヤングの70年代』
(森話社)
[審査結果]
博士論文を加筆、再構成した本書は、アイドル誌としての視点からおもに1970年代の『明星』を分析している。『キングの時代』(佐藤卓己)、『平凡の時代』(阪本博志)などの系譜に属する研究書である。従来、戦後の芸能誌としては『平凡』が取り上げられることがおおく、発行部数や影響力の大きさにもかかわらず『明星』の研究は弱かった。したがって、全盛期の『明星』を取り上げたこと自体に意味があり、また社会状況と重ねて記事や読書欄を丹念に内容分析する手法は手堅い。だがそれ以上に特筆すべき本書の独自性は、読者とアイドルとの媒介者および読者欄の行司役としての「明星アニキ」と呼ばれる読書欄担当編集者に注目し、70年代アイドルとどこにでもいる特別ではないヤングのファンとの関係性を鮮やかに描き出している点である。ともすると70年代の雑誌論では、特殊な時代であることを前提として特異事例を重ねることでエッジのたった雑誌とその読者層を回顧的に描くことがおおい。本書では、このような先鋭的な若者カルチャー論にマスクされ見えにくかった70年代の若者マスボリューム層の心情が提示されている。本書は日本出版学会奨励賞を受賞することとなったが、今後さらに80年代以降のふつうの若者とアイドルとのかかわり、そしてそれを媒介する雑誌の動向、さらにはSNSでアイドルの日常を見ることができ握手会で肉体的接触さえ出来る今日の状況へと研究が発展することを期待したい。
[受賞のことば]
田島悠来
この度は,このような素晴らしい賞を賜り,誠に光栄に思います.本書は,博士論文『1970年代の「アイドル」文化装置としての雑誌『明星』』(2014年,同志社大学)を修正・加筆したものでありますが,日本出版学会でのさまざまな方々との出会いが,執筆,そして刊行の後押しをしてくれたことに多大なる感謝の気持ちを抱いております.
思えば,私の博士論文にかかわる研究の歩みは,日本出版学会とともにありました.初めて関西部会に参加し理事の方に声をかけていただいたこと,春季研究発表会で口頭発表をした際には,諸先輩に貴重なご意見の数々を頂いたこと,鮮明に覚えております.こうして言葉を交わすうちに,今では「ジャニーズ」のファンである女性(なかでも,学校に通う年代の女子)が読者の中核を担っていると考えられている『Myojo』(集英社)が,「アイドル」文化の黎明期であり,『明星』が「アイドル誌」としての最盛期を迎える1970年代には,男女の垣根を越え,より幅広い層の読者に読まれていたマス・メディアであったのではないかという仮説のようなものが確信へと変わっていきました.それは,学会に参加される男性の研究者のなかに,当時『明星』を読んでいた,しかし読者であったことを口にすることはなかなかできなかったという旨の助言をいただくことが多々あったからであります.「アイドル誌=少女雑誌」または,「アイドル誌=熱狂的なファンのための雑誌」といった固定概念が打ち砕かれ,そうしたものに隠れ見えにくい部分,研究を進める上での軸が鮮明になった瞬間でありました.そしてこれは,多様な世代,年代の人びとが一堂に集う空間である学会の真骨頂であり,アットホームな雰囲気を醸し出す日本出版学会であるからこそ育むことができたものであると感じております.
研究遂行に際しては,大宅壮一文庫,国立国会図書館といった資料・史料の保管施設を度々利用し,集英社編集部の皆様にご支援いただきましたこと,改めてここに御礼申し上げます.このような貴重な場所の存在やご厚意によって初めて出版史研究は成り立っていることに感謝の意を示すとともに,一研究者として後世に受け継いでいくために尽力することがその恩返しになるのではないかと感じております.
本書刊行にあたっては,本学会の懇親会での編集者の方との出会いがきっかけとなっております.また,この出会いは,本学会で知り合った会員の方がつないでくださった縁であります.そして,これは関西部会を通じた交流を機に生まれたものであります.コミュニケーションが不得手な私をこのように導いてくれた関西部会に,育てていただいた日本出版学会に御礼を申し上げるとともに,これからも,縁をつないでいく貴重な場所でありつづけてほしいと願い,一会員としてもそのために邁進していく所存でございます.