第30回日本出版学会賞の審査は,出版研究の領域における著書および論文を対象に,審査規則に基づいて行われた。今回は2008年1月1日から12月31日にかけて刊行,発表されたものを対象に審査を行ったが,審査会は2月24日,3月9日,3月30日と3回にわたって行われた。審査にあたっては,学会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著書および論文のリストに基づき検討を行い,候補作をしぼって選考を行った。その結果,日本出版学会賞奨励賞1点が決定した。
【奨励賞】
阪本博志著
『「平凡」の時代――1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』
(昭和堂)
[審査結果]
『「平凡」の時代―1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』は,京都大学より博士号を授与された論文に大幅な加筆修正されたものである。副題からも窺えるように,本書は,雑誌『平凡』の研究に止まるものではない。
著者は『平凡』を雑誌それ自体と,その読者に着目する。まず,『平凡』を,1950年代という戦後復興から高度成長,大衆社会にいたる過程の「過渡的メディア」と位置づける。スターのグラビアや歌詞を掲載した「歌と映画の娯楽雑誌」の『平凡』は,テレビの本格的な普及まえに,映画やラジオとの結びつきを担った点で過渡期的メディアであるという。ちなみに同誌は,50年代に発行部数140万部を記録している。これは,マンガ誌を除けば,日本の雑誌史上において有数の記録である。
もう一つは,『平凡』の読者が中卒以下の勤労青少年であった点に注目し,政治的な「左右対立」の図式で語られることの多い1950年代において,「平凡の時代の若者たち」という対立項を提示する。すなわち,『平凡』の読者組織であった「平凡友の会」は,全国規模で組織され,右でも左でもない娯楽を媒介とした多数の若者の仲間づくりの場として機能していた。このような組織は,1960年代の高度成長期における都市部の若年労働者のサークル活動・青年活動の展開に至る以前の過渡期的な現象であったとする。さらには,それは1970年代の「平準化された大衆社会」の誕生につながるというのである。
このように本書は,1950年代に過渡期的に存在した「『平凡』の時代の若者たち」を発見することで,「左右対立の政治の季節」にとどまらない枠組みを提示することで,「もうひとつの戦後社会論」を立ち上げようとしている。
このような「もうひとつの戦後社会論」を提起するために,雑誌『平凡』の分析がなされているように考えられる。しかしこのことは,出版研究としての本書を謗るものではない。
この研究書は,『平凡』を多面的かつ重層的に考察している。すなわち,雑誌自体だけでなく,その送り手である編集者や業務担当者,あるいは受け手の読者,さらには,雑誌に登場したスターまで目張りしている。また,研究方法も社会学的にオーソドックスである。実際の研究も,その範囲と密度において十分である。すなわち,幅広い文献を渉猟し,多数の関係者にインタビューしている。
以上のように,『「平凡」の時代』が,1950年代の雑誌『平凡』と,その読者を徹底的に解明していることを評価して,奨励賞を授与することとした。
[受賞の言葉]
阪本博志
2008年5月に上梓した拙著『「平凡」の時代―1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』により,本年5月9日國學院大學で開催された日本出版学会春季研究発表会の懇親会の冒頭,第30回日本出版学会賞奨励賞をいただいた。懇親会では,『平凡』を創刊した岩堀喜之助のご長女・新井恵美子氏からご祝辞を頂戴した。私は岩堀の声を直接聞く思いで拝聴した。
本書において私は,1950年代を代表する大衆娯楽雑誌『平凡』を軸にラジオ・映画・テレビといったマスメディアを横断して展開された大衆文化の様々な企画を,メディア史研究の観点から再構成した。それとともに,同誌の「送り手」「受け手」の若者たちの姿を,文献調査・インタビュー調査から明らかにした。こうした事象は,この時代を「政治の季節」とする従来の左右対立の二項図式あるいは政治中心・エリート中心の枠組では,把握されてこなかったのである。1950年代を「『平凡』の時代」とする本書は,これらに光をあてるとともに,同時代に位置づけなおし,これまでの1950年代把握枠組をのりこえることひいては「もうひとつの戦後社会論」をたちあげることを意図したものである。
この研究の過程では,多くの方々にあたかかいご理解をいただくとともに貴重なお話をお聞かせいただいた。そのお陰で,数多くのオーラルヒストリーを記録しそこに考察を加えることができた。
「送り手」としては,新井氏,『平凡』の版元マガジンハウスの木滑良久最高顧問,創刊号が刊行されたときの6名の同人のうち唯一ご健在である羽鳥勲氏をはじめとする関係者の皆さまに,たいへんなご協力をいただいた。そればかりか『明星』関係者の方々にも,ライバル誌の研究にもかかわらず快くご協力をいただいた。
「受け手」としては,10万人以上の会員を擁した読者組織「平凡友の会」に集っておられた各地の方々のもとを訪ね,お話をうかがった。
また,美空ひばり・江利チエミとともに「三人娘」のおひとりとして活躍された雪村いづみ氏,ラジオ番組「平凡アワー」の司会を長く務められた玉置宏氏,京都大学在学中の1953,54年に大学生と読者の勤労者との大規模な文通運動を展開された西村和義氏といった,いわば「『平凡』の時代」のキーパーソンの方々からも,貴重なご証言をいただいた。
『平凡』という魅力的な研究対象に出会えたことがこの研究において最大の幸運であったことは言うまでもないが,多くの方々のご協力なしに本書は成立しえなかった。また,師や学友に恵まれたばかりか,初めての著書の帯に鶴見俊輔先生のご推薦文を頂戴した私は,つくづく幸せ者であったと,心から感謝している。
「あとがき」にも記したように,本書における研究の出発点は,1998年1月に京大文学部に提出した卒業論文である。それからの研究に私は,京大人文科学研究所助教授時代(1948年11月~1954年12月)の鶴見先生や西村氏が同時代に『平凡』に着眼していた京大の学風に影響を受けながら,20代の多くをかけた。拙いながらも私にとってはいわば「20代のひとつの決算」である本書を,2008年に発表された出版研究の著作のなかから唯一,この年度の日本出版学会賞に選んでいただけたことを,たいへん光栄に思う。
また,『平凡』が創刊されたとき発行者の岩堀は35歳,編集長の清水達夫は32歳であった。奇しくも私が本書を脱稿したのは32歳で,本年11月には35歳になる。そのような節目の年に日本出版学会賞奨励賞をいただいたことを,とてもありがたく思う。このことをはげみに,研究のひとすじの道を歩んでいきたい。
最後に,私が大学院に進学した1998年の9月,重度の脳梗塞で母が倒れた。母が倒れてから2004年1月に亡くなるまでの約5年半の日々は,父と看病・介護をしながら研究を続けるものだった。多くの方々にご協力をいただき研究が進むことを,母は喜んでいた。そして私が最後に耳にした母の言葉のひとつが,私の単行本出版を見届けたいというものであった。本賞を母に捧げたい。