【学会賞】
鈴木俊幸
近世近代出版史に関する研究書および論文と書籍研究文献目録
[審査結果]
鈴木俊幸氏(中央大学教授・国文学専攻)が今回の審査対象となったのは,2004年3月発行の中央大学文学部文学科の『紀要』第93号に発表した「貸本屋の営業文書」という論文によってだった.この論文は,近世近代を通じて読書生活を娯楽面で支えた貸本業の機構や蔵書構成等営業の実態を明らかにするため,写本の前後表紙の芯紙として貼りこまれていた断片的な営業文書の有効性と限界を検討しながら,商売用の貸本のほとんどが娯楽的な読み物であったと指摘している.その分析は緻密で説得力があるが,鈴木氏はこの論文以外にも,中央大学文学部文学科の「紀要』にほとんど毎号のように優れた論文を発表している.そして,研究書としては1998年に『蔦屋重三郎』(若草書房)を刊行しているが,本書は吉原の本屋であった蔦屋重三郎が狂歌師として天明期の狂歌・戯作壇の形成に果たした役割や彼が行った戯作および絵本・浮世絵の出版を流通面にまで眼配りして論じ,蔦重の寛政改革後の行動や代々年譜なども詳細にたどった力作である.また編著として1997年に『近世書籍研究文献目録』(ぺりかん社),98年に『蔦重出版書目』(青裳堂書店)を刊行,さらに自分で編集発行する『書籍文化史』(2005年1月で第6集)に「近世書籍文化史研究文献目録・補遺」を連載している.これら一連の業績は研究内容が非常に充実しており,日本出版学会賞を授与するにふさわしいものとして評価した.
[受賞の言葉]
鈴木俊幸
この度は,「日本出版学会賞」を賜りまして,まことにありがとうございました.会員のみなさまに心よりお礼申し上げます.
そもそも,ひらめきの神様とは縁遠い人間で,原物を前にしないと頭が動き出しません.何か気にかかることがあれば,気にかかる理由もはっきりさせないまま,目算もほどんどなしに,阿呆のごとく気にかかるものを見て廻り,また集めました.効率悪いことこの上なく,使い道を考えつかないものやデータが,書斎やハードディスクの中に山を築いています.その無駄な山々も,もともと何かしら心引かれることがあっての塵が積もってのものであるせいでしょうか,ごくたまには面白い形になっていくこともあったりします.
思えば,幼いころより宝物(大人のセンスからすればガラクタ)を集める癖がありました.ビールの王冠,8マンのシール,アンモナイトの化石等々さまざま遍歴いたしまして,行き着いた先は古書店街というわけでした.といっても,貧乏の神様だけは昔より懇意にしてくれておりまして,集められる古書は,ごく普通に転がっている安いものたちです.それが習い性となって,優品・名品といったご馳走にはむしろ食欲がわかず,時代におけるごく普通の状況を,ありふれている書籍を通じて見ていこうという安上がりの研究姿勢が身に染みつきました.
そのような次第でガラクタはそこそこ博覧しておりますが,強記という言葉には無縁で,自らの備忘のために,過眼の資料やら文献やらのデータを集積しておりました.ある程度使い勝手がよくなるくらいの情報量になってまいりますと,ひょっとしたら完璧に近づけるのではないかという欲が出て,より多くのデータを求めてあれこれあちこち漁りましたし,遠い「完璧」に向かって今も継続中です.
こんな中途半端な研究をお認めくださり,重ね重ねお礼申上げる次第です.
【奨励賞】
中野晴行
『マンガ産業論』 (筑摩書房)
[審査結果]
出版科学研究所の調査によると,2002年に日本国内で出版されたマンガ単行本の新刊点数は9829点で,マンガ雑誌は280タイトル発行された.日本はまさにマンガ大国であるが,中野晴行氏(まんが編集者・ノンフィクション・ライター)が執筆した本書はそれを支える「マンガ産業」の構造を分析したものである.本書では,日本のマンガ産業について,誕生から今日までを追跡しているが,全体は3部で構成されている.すなわち,第1部マンガ産業の基本構造,第2部マンガ産業の30年,第3部マンガ産業のあしたはどっちだ,といった構成だが,第1部では少年週刊誌の登場やマンガ市場,テレビアニメ,マンガ家などについて論じ,第2部は低迷と市場の拡大が同居した70年代,マーケットが多様化した80年代,情報としてマンガを消費した90年代と,3つの年代にわけてマンガ産業の変遷をたどり,第3部は少年誌と青年誌の葛藤やマンガ世代の高年齢化,デジタル化とマンガなどについて論じている.これらの分析は,主観的な作品論ではなく,統計資料を豊富に駆使して行われ,マンガ出版を一つの産業として理論的にとらえ,トータルにマンガ出版の実態を分析しており,日本出版学会賞奨励賞を授与することとした.
[受賞の言葉]
中野晴行
価値ある賞を受賞させていただきありがとうございます.
マンガの産業構造を分析する試みはまだ始まったばかりです.拙著の書評の中にも,マンガを産業として捉えること,そのこと自体に対する疑問を投げかけるものがあり,多少の迷いが出てきた時期に,アカデミックな場で評価していただいたことは大いに励みになりました.
現在は「文化通信」にスペースをきただき,フィールドワークとしてマンガ雑誌の現場レポートを続けています.これは「マンガ産業論」の実践編としてなるべく早い機会にまとめたいと考えております.
マンガをめぐる状況はめまぐるしく変化しています.大手出版社の海外進出が本格化し,一方のアジアではWEBコミックという形で日本のライバルも成長しつつあります.
今は日本優位ですが,それがどこまで続くのかは予断を許しません.世界市場での競争が次第に本格化する中では,著作権などの問題もクローズアップされています.
さらに,少子高齢化の進む国内では,マンガの市場構成に変化が生まれ,それが販売にどのような影響を及ぼすのか,大いに心配されています.
「萌え」ブームがどこまで市場拡大の起爆剤となるのか,どこまで続くのか,も冷静に分析する必要がありそうです.
マンガを産業として捉えた場合,分析しなければならないことはまだまだたくさんあります.「奨励賞」とは「励めよ」ということだと判断して,今後ともこの分野での研究を継続していきたいと思っております.
ただ,私は市井の研究家であり,それゆえの限界もあります.しっかりした研究機関や専門の研究者の方の手に委ねなければならないことも多々あります.この機会に,マンガ産業をテーマとしてくださる研究者の方が増えることを期待しております.