第18回日本出版学会賞の審査委員会は,1996年11月18日から97年4月14日までに,計7回開かれた.審査作業は,審査委員会の委嘱により古山悟由,平井紀子会員が収集した対象期間内出版関係著書・雑誌論文リストおよびアンケートによる会員からの推薦,各審査委員の情報を基礎にして行われた.その結果,雑誌論文の分野では,牧野正久氏の「年報『大日本帝国内務省統計報告』中の出版統計の解析―明治・大正・昭和(戦前)期の分野別出版点数の推移―(上)(下)」(日本出版学会・出版教育研究所共編『日本出版史料』日本エディタースクール出版部,1-2号,1995.3-1996.8)が,従来殆ど検討されることなく利用されてきた,わが国唯一ともいえる統計史料整合性について初めてメスを入れたことが評価されたが,牧野氏の作業目標は当核史料の範囲だけでなく,さらにそれ以外の統計資料を博捜し,日本の出版統計の全体を吟味し位置づける方へすでに向かっているように見られるので,その集成の時に期待することにした.その他いくつかの論文が注目されたが,雑誌論文はたいていの場合分量が少ないためか,魅力的な内容であっても論旨を十分に展開できていないために評価が困難であるという感想が共通して出された.
また単行本では東洋経済新報社百年史刊行委員会編集『東洋経済新報社百年史』(東洋経済新報社)をはじめ数点が力作として注目されたが,出版研究の分野とするにはやや無理があることから結局は対象外とされた.
以上のような経過のなかで荘司徳太郎著『私家版・日配史―出版業界の戦中・戦後を解明する年代記―』(出版ニュース社)が最後まで選考の対象としてとりあげられ,出版史研究に寄与する「記録」としての意義が評価され日本出版学会賞とすることに決定した.
【学会賞】
荘司徳太郎
『私家版・日配史―出版業界の戦中・戦後を解明する年代記―』(出版ニュース社)
[審査結果]
昭和16年に出版新体制のなかで全国の取次業者約200社を統合して出版物の一元的配給事業を目的とする日本出版配給株式会社が設立された.
著者は発足して間もないこの組織の調査部で「企画」「弘報」の仕事に従事し,さらに業務部長(理事)室付をへて戦後は仕入部の書籍課に移り,GHQの命令で昭和25年に「日配」が閉鎖されるにいたって「清算」業務にたずさわった.本書はもともと,この間の体験をもとに著者が「荘司太郎」のペン・ネームで業界紙『出版時事』に『私家版・日配史』と題する克明な回想記を平成5年までの15年余にわたって連載したものであり,本書はその復刻合冊版である.400字詰,2500枚にもおよぶ.
著者はあえて「私家版」とした理由として私事にわたる事柄を読み物風に記録できた点を強調しているが,何よりも著者の記憶と当時のメモを中心に人間関係が詳細に記載されており,一方で故清水文吉氏との共編著『資料年表・日配時代史―現代出版流通の原点』(出版ニュース社,昭和55年)を肉付けして補完したものであるといえる.しかし内容の案内と検索をかねた目次,八百数十名にわたる人名索引が示すとおり当時の日配および出版界の動向を俯瞰しうる記述は,私家版の性格を優に越えて独立した資料価値をもつものであるといわねばならない.
戦後50年をへた今日もなお,戦中・戦後の出版業界にかんする公式の記録が編纂されないままに世代交代が進行し,きわめて関係資料が乏しい状況にあって,本書は「現代出版流通の原点」のみならず,それをふくんだ「出版業界の戦中・戦後」を解明するためのきわめて貴重な「記録」であり,これをまとめられた著者の情熱と執念にたいし心より敬服と感謝の念を捧げたい.
[受賞の言葉]
受賞の言葉 荘司徳太郎
人に宿命があるように,本にも宿命がある.――拙著『私家版・日配史』が出版ニュース社から公刊されて,図らずも栄えある〈出版学会費〉を頂戴するに至ったのは,親版ともいうべき『資料年表・日配時代史』の先行があったればこそである.浅からぬ宿縁と申すべきか.
審査委員の諸賢も,両書は相互に補完しあい表裏一体となって,出版業界の戦中・戦後史の解明に価値ある光を当てている,と吟味されていることは,正当な評価を受けたものと感謝している.
もともと『資料年表・日配時代史』は,出版ニュース社の前社長・鈴木徹造氏の企案になるもので,同社の創立50周年記念出版として,同社の母胎である日本出版配給株式会社の社史でもまとめて残したいという念願から始まった.筆者らが執筆依頼を受けてから検討した結果,社史とするには内部資料不足で実現不可能とわかったので,結局,出版配給史に重点を置く「業界時代史」としてまとめるよりほかなかった.これらのことは同書の「あとがき」に記述した.
ともあれ,これが親版である.このときの因縁が尾をひき,私は『私家版・日配史』に没頭せざるをえなくなった.何分,親版では割愛した点や説明不足のところが多々あり,それを補完したり,肉づけしたりしなければならなかった.私家版らしく,時代考証にも気をつかい,それや,これやで十数年も費やしてしまった.なぜ?そこまでやらねばならなかったのか,…一言でいえば「忘れてはならないことを忘れないために!」だ.
第1に統制時代のことは出版業界の暗部としてブランクになっている.第2に,日配に関する誤伝・誤報が多く,誰かがこれを正さなければならぬ.しかし,書ける人が居なくなった.――今,私がやらなければ,という切ない思いが天命の如く重くのしかかり,老骨に鞭打った!「宿命」であろう.失礼.