第14回日本出版学会賞 (1992年度)

第14回日本出版学会賞 (1992年度)

 第14回日本出版学会賞の審査は,日本出版学会賞要項および同審査細則にもとづき,1991年10月1日から1992年9月30日までの1年間に発表された,出版研究の領域における著作を対象に行われた.
 審査委員会は,1992年10月19日から1993年4月19日までの間に,計7回開かれた.審査作業は,(1)審査委員会の委嘱により大久保久雄会員が作成した,対象期間内関係書籍リスト,および古山悟由氏が作成した関係論文リスト,(2)審査委員の個人的に収集した情報,および(3)会員からの推薦(アンケートに対する)を基礎として行われた.
 審査の結果,本賞該当作品はなく,佳作一篇を選んだ.その理由は以下の通りである.
 なお審査委員会は,候補作品として,小出鐸男「現代出版産業論」(日本エディタースクール出版部刊)に注目したが,賛否両論の鋭い対決の中で,受賞には至らなかっ


【佳作】

 稲岡 勝
 「蔵版,偽版,板権―著作権前史の研究」
 (『東京都立中央図書館研究紀要』第22号)

 [審査結果]
 本論文は,これまでとかく法制的な研究にのみ重点のおかれてきた著作権研究の領域で,はじめて出版史研究の立場から,主として明治前期に焦点を当てつつ,著作権の発達過程を本格的に追求した先行的な研究である.その膨大な資料の発掘,整理は,当時,著作権が版権として一括りされ,私権と公有性,財産権とコミュニケーションとしての公共性が明確にされず,また私権においても,著作者の権利と出版者の権利が渾然としていた著作権前史の今後の研究の,重要な手がかりともなり得るものである.
 マルチメディアの発達にともない,著作物のボーダレスな利用が問題になってきている現在,著作物の原点ともいえる出版の長い歴史の研究から,著作権を見直すことは,極めて重要なことで,その点でも本論文は大きな役割を果たしたものと考えられる.
 なお審査の過程で,明治2年の出版条例,明治8年のその大改正,明治20年の版権条例など,法制面との関わりの分析の不足が指摘された.権力側との関連の研究は,著者の意図した,財産権とコミュニケーションとしての公共性との関連を明確にするためにも,また,今問題になっている出版者の権利の再検討のためにも,著作権史研究にとって欠くことのできない側面であり,著者の今後の研究の進展が期待された.

 [受賞の言葉]

 歴史的な差異の識別  稲岡勝

 蔵版,偽版,板権―何やら落語の三題咄めいた未熟な論文に対して,過大な評価をいただき,いささか面はゆい気持である.それも著作権史という,日頃取り組んでいる研究とは畑違いのテーマなので,なおさらその感が深い.恐らく審査員の方には,これまでの量的な実績(?)をも考慮してひいき目に見て,いわば柔道でいうところの“合わせて一本”にして下さったのであろう,と思っている.
 ところでタイトルに用いた書物用語は今日では殆ど死語に近く,なじみのない向きが多いかも知れない.その用語に即して拙稿の意図を簡単に紹介したい.
 複数頒布を本質的属性とする出版の歴史はある意味で,偽版との戦いの歴史でもあった,古い時代ほど出版をするには莫大な資本の投下が必要である.だから少なくともその回収が済むまでは,出版者に出版物の排他的独占権が保証されねば,業は維持できないし,また新規に参入する者も出現しない筈である.出版者が偽版者を排除するため同業組合をつくり,その権利を相互に守ろうとしたのも当然の成り行きである.これは洋の東西を問わず共通に見られる現象である.
 日本の場合,著作権に類似した慣行は既に江戸時代に存在した.但,それは蔵版(板木の所有権)主の権利であって,著者のそれとは限らない.また“永久其人の利”(無限の権利)と意識された.明治時代になっても,その慣行は根強く残った.従って明治初年の出版条例の条文を額面通りに受けとって,今日的意味での著作権が既に成立していたと見るのは誤りである.当時の出版の実態を見ても,それを裏付けるケースは無数に顕在している.
 著作権は歴史的には右にみたように,出版者の権益から派生してくるのであるが,それが著者の権利として純化した形になるのにはなおまだ時間を必要とした.法制上は明治20年の版権条例を経て,同32年著作権法(旧法)によって初めて明確化された.
 明治前期の著作権の実態は,今日的意味でのそれとは明らかに違っている.近世の慣行をなお引摺ったいわば過渡期であって,それを当時の歴史用語を借りて,“板権”の時代と命名してはどうかと思うのである.(版権としないのは,今でも著作権の意味で使用する人が後を絶たず,無用の誤解を招くからである.)
 以上が拙稿の大要である.従来著作権の歴史に触れたものは厳密性を欠き,この歴史的な差異を弁別せずに云々するものが多かった.本稿に意味があるとすれば,その点に於いてであるが,充分に説得力を持ち得たかどうかは自づと別問題である.
 今後の課題としては,(1)論拠を一層強固にするために,関係文献の博捜や,適切な出版事例の発掘が更に必要である.論文発売後に吉村保氏の労作『編年・著作権文献目録』(音楽著作権協会 1991年)を得て,未見の文献が多数あることを教えられた.(2)箕輪成男氏の翻訳によりJ・フェザー著『イギリス出版史』(玉川大学出版部 1991年)が出た折でもあり,外国の著作権史も視野に入れて比較史の観点(例えば,木板と活版という印刷術の違いによる反映はなかったか等々)から再論することも肝要と思われる.

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