第13回日本出版学会賞の審査は,日本出版学会賞要綱および同審査細則にもとづき,1990年10月1日から1991年9月30日までの1年間に発表された,出版研究の領域における著作を対象に行われた.審査委員会は1991年11月15日から1992年4月13日までの間に計5回開かれた.審査作業は(1)審査委員会の委嘱により大久保久雄会員が収集した対象期間内出版関係書籍リスト,(2)審査委員会からの各専門分野における関係著作情報,(3)会員からの推薦(アンケートに対する)および(4)木野主計会員を通して依頼作成した関係論文リスト(古山悟由氏作成)を基礎として行われた.
審査の結果,本賞該当作品はなく,佳作2篇を選んだ.佳作2篇の授賞理由は以下の通りである.
以下2論文はいずれも限られたスペースの研究報告論文という性質上未完成の作品ではあるが,その実証的な方法による研究成果は出版研究に対する大きな貢献と考えられる.
なお審査委員会は候補作品としてこのほかに,森上修「慶長勅版『長恨歌琵琶湖行』について」上下,(『ビブリア』95号,97号)に注目したが,同論文の完結篇下巻の発表が対象時期外であることから今回の選考からは除外した.また蘆田孝昭「明刊本における●(門+虫)本の位置」(『ビブリア』95号)も貴重な作品と考えられたが,授賞にはいたらなかった
【佳作】
永嶺重敏
「明治期『太陽』の受容構造」(『出版研究』21号所収)
[審査結果]
本論文は明治28年から昭和3年まで三十余年にわたって発行された博文館の総合雑誌『太陽』の出現の意味をその雑誌スタイル,読者層,受容様式の3点から分析している.すなわち『太陽』が「百科全書的専門家」という編集方針の下に,従来の書生層による小冊子的雑誌の反復熟読的受容形態から,広範・多様な中産読者層による情報的・娯楽的受容への変化をもたらした過程を,同誌の先行誌『国民の友』と比較しつつ,定量的に明らかにしたものであり,その方法はきわめて論理的で説得力があり,読者論の成果として評価された.
[受賞の言葉]
読者史研究の有効性 永嶺重敏
試行錯誤で独学に近い形でやってきていただけに,今回の受賞は大きな励ましとしてことのほかうれしく思いました.心から御礼を申し上げます.
読者史研究に入ったきっかけは,かつてフランス中世史をホームグラウンドにしていた頃にアイゼンシュタインやエンゲルジング,アナール学派等の著作にふれて,いわゆる「書物の社会史」に目を開かされたことであった.ただ,文学テキストの研究と違って,外国の読者研究はいかにも隔靴掻痒の感が強く,オリジナルな研究は不可能に思われた.それに比べ,近代日本の読者研究はまだほとんど手がつけられておらず,きわめて大きな可能性を感じてこの分野に入った次第である.
それから約7年,8年,専ら雑誌の読者層に焦点を絞ってすすめてきた.本研究では総合雑誌の読者層の系譜を扱っているが,当初『太陽』から『中央公論』への交代をも扱うつもりであったが,史料の不足から断念せざるを得なかった.この史料的制約が日本の読者研究に大きな壁となっているように思われる.日本の読者史研究もここ数年ようやく活況を呈し始め,昨年聞きに行ったロジェ・シャルチエの来日講演もかなりの熱気で盛り上がっていたし,また,雑誌『思想』でも読書史をめぐる特集号が出され,教育学専攻の若手研究者を中心に論文が輩出しつつある.
しかし,そこで利用されている史料は相変わらず読者の投稿や自伝といった断片的なものに留まり,アメリカの読者史研究で利用されている雑誌購読・予約者リストといった読者層の全貌を把握し得るような史料は出てこない.出版社自体の内部にすらそういった一次史料の存在が期待出来ない現状では,新たな史料の発掘といっても容易なことではないが.
このような制約はありながらも,読者史研究は出版史に重要な有効性を有していると思う.ある雑誌をその読者との関わりの中で考えることは,その雑誌を当時の社会的文脈の中に生き返らせることであり,また,その雑誌がかつて有していた魅力・社会的牽引力の理解を可能にする.それは真にその雑誌を理解することにつながる.今後,出版社史編纂や雑誌の歴史が書かれる際には,是非ともその読者をも視野に入れた歴史を望みたい.
【佳作】
大和博幸
「江戸時代地方書肆の基礎的考察」(『國学院雑誌』92巻3号所収)
[審査結果]
本論文は出版活動が江戸・京都・大坂の三都に集中していた江戸時代において,それ以外の地方でどのような出版活動が行われていたかに光を当てた,すぐれて実証的な研究である.著者は先ず国文学研究資料館蔵マイクロ資料目録および国文学研究資料館蔵和古書目録を渉猟し,すべての地方出版物を摘出するという基礎作業を行っている.そのデータをもとに著者は先ず寛永元年から慶応4年に至る244年間を5つの時期に区分し,この間に活躍した420人の書肆版元を時期区分することによって,時代を追っての増加傾向を明らかにし,次いで,その地域分類を試み,最後に各地方書肆出版のジャンル別分類を行っている.
本論文によって明らかにされた江戸時代地方都市出版の実態は,江戸時代における出版の全体像を捉える上で,貴重な知見と評価された.なお本論文の延長線上において大和氏が発表された他の2論文,「江戸時代若山の出版と書肆の基礎的考察」(図書館学会年報第37巻第3号)および「江戸時代若山の出版と書肆の基礎的考察補遺」(『出版研究』第22号)についてもまた審査委員会は留意した.
[受賞の言葉]
地方書肆の調査 大和博幸
このたびの受賞は,まったく思いがけないことであり,幸運であったと思うと共に大変嬉しく思っています.
私が江戸時代の地方出版史研究を志すようになったのは,職場環境が大きかったと思います.大学を卒業し図書館に奉職後まもなくして配属されたのが,貴重書,特別集書の収集・整理・保管・利用を担当する調査室(現在調査課)であったことが今から考えてみると,非常に幸いであったといえます.そこで多くの神道書,国学書,従来物などに出会うことができました.そしてそれらの刊記に,伊勢山田の藤原長兵衛重常,伊勢松坂の柏屋兵助,名古屋の永楽屋東四郎,伊勢津の山形屋伝右衛門,紀州和歌山の綛田屋平右衛門,帯屋伊兵衛,坂本屋喜一郎,仙台の伊勢屋半右衛門,西村治右衛門,池田屋源蔵などの書肆たちの名前が,しばしば出てくることに気付くようになりました.さらに注意深く見て行くと,そうした大都市以外の小都市である,高崎,佐原,宇都宮,栃木,佐野,会津若松,福島,水戸,小諸,上田,松本,善光寺,越後水原などといった地方にも多くの書肆たちが存在し,活発に出版活動をしていることが分かってきました.
受賞作である「江戸時代地方書肆の基礎的考察」は,そうした地方書肆たちを『国文学研究資料館蔵マイクロ資料目録』および『国文学研究資料館蔵和古書目録』を使って確認作業を行ったというものです.かなりの数の地方書肆たちのリストアップができたことと,地域的なジャンルの特徴も大まかながら把握できたことは収穫であったと思っていますが,そこまでであってそれ以上の域に達していないことは十分承知しています.
今後は,大藩(当面は広島,岡山,金沢,熊本,伊勢,津,佐賀などを考えています)を中心として厳密な再調査を行ってゆくこと,ジャンル別(具体的には,類題歌集を主とする歌書出版,俳書出版,地誌・地図出版,往来物出版,漢詩文出版)研究を並行させて行い,地方書肆・地方出版の実態に少しでも近づいていきたいと考えています.
ともかく資料的な制約が多く,市町村史などを片端から見ていますが,出版に関する史料はほとんど収録されていないのが現状です.現在史料の発掘こそが第一に行わなければならないことですので,会員の皆様のご教示をお願いします.