■ 第3回 PAJUフォーラム報告 (会報123号 2009年1月)
舘野 あきら
昨秋,paju出版都市で,「第3回Paju Bookcity Forum 2008」が開催(11月19日~21日)され,日本からも4人の報告者・パネラーが参加した。今回のテーマは「アジア出版の未来――競争の中の協力プラン」。前2回に引き続きアジア出版を発展させる道を,各国からの参加出版関係者の討論を通じて模索しようとするもので,Paju出版団地という本格的な組織,施設を持つ韓国だからこそなし得た大規模なフォーラムだった。
主催は出版都市文化財団。参加者はいかなる組織・団体を代表するものではなく,自由意志による参加となっており,国別にみると韓国,中国,香港,台湾,フィリピン,ベトナム,オーストラリア,アメリカ,ドイツ,そして日本からの参加者があった。
開会行事につづく基調講演は,キム・ウチャン高麗大学名誉教授の「東アジアと出版文化」だった。内容は出版を歴史的にたどり,高級文化の場としての出版の創造的な行為を,西欧の「ロゴス」に対し,東洋では「道」であるとし,その普遍性を深化させるための外的条件を考察した,哲学的思考にあふれたものだった。
討論は4つのセッションに分かれており,そのタイトルは次の通り。「アジア出版コンテンツの魅力」「アジア出版産業の歴史と未来」「国家の読書振興プログラムと出版産業の対応戦略」「中小書店はいかに競争力を強化するか」。
進行は各セクションとも,1~3名の報告者が報告し,つづいてパネラーの3~5名がこれに加わる形式だった。全体的に各国の置かれている状況が異なり,参加者自身も他国の事情によく通じていないため,貴重な報告をもとに討論を深めていくまでには至らなかったのが惜しまれる。報告内容をあらかじめ知らされていないパネラーは,報告とは関係のない発言をするケースも多く,言うなれば「発言しっぱなし」状態になってしまったのである。セクションによっては建設的で具体的な提案もいくつかあり,それは最終日の「宣言文」のなかに,「アジアの出版コンテンツの体系的な情報提供機関の設立に向けての提案」などに活かされている。
これまでのフォーラムの成果は,すでに数多くストックされている。今後はその蓄積の上に,さらに問題点・課題をさぐり,発展の道を探究する,より実践的な方向も目指さねばならない。実践的・具体的な方向という点では,団地内出版社はじめ,現役出版関係者の参加が少なかったのが残念だった。前2回の参加者の継続参加が少なかったこと,一般(フロアー)参加者が少なかったことも反省点になるだろう。
ともあれ世界各国から参加者を集めて,出版・読書振興を共通テーマに大規模のフォーラムを開催した主催者側に心から敬意を表したい。こうした催しには周到な計画,つまりたくさんの情報と時間を必要とする。今後もこのような形式で開くのであれば,韓国側にだけお任せするのではなく,日本と中国も責任を分担し,企画段階から参加していく必要があるのではないだろうか。
日本文学の翻訳状況を書誌データで確かめる韓国の出版事情
韓国ではいま若い女性を中心に,日本文学に関心をもつ読者が大々的に増えている。大型書店を訪ねると目立つ場所に「日本文学コーナー」が設けられており,日本の文学作品の翻訳本が溢れんばかりに陳列されている。例えば教保文庫の「日本出版物コーナー」には,一見,日本の書店ともみまがうほど多数の単行本や文庫(日本書)が並んでいるが,それよりも店内中央の「日本文学コーナー」の翻訳物(韓国語版)のほうが,作家も作品も多彩であり,点数のうえでもまさっているのだ。
こうした現象は2006年以降,特に目立ってきたようで,日本書ブームに関する分析・批判論文も何本か出ている。そんななか,最近『日本文学翻訳60年,現況と分析』(ソミョン出版)という注目すべき研究資料集が刊行された。
この本は1945年から2005年までの60年間に,韓国国内で翻訳出版された「日本文学」を作家別,作品別に整理・集計したものだ(作品集などで1冊に複数の作品が入っている場合は,それぞれの作品も収録されている)。調査は国立中央図書館,国立国会図書館,主要大学図書館などの所蔵図書目録,大型書店のネット検索資料などを対象に実施された。ここでいう「日本文学」とは,作家の国籍や血統には関係なく,日本国内で日本語で書かれ発表された小説や詩歌類である。
〈作家数620名,作品数2787点〉
全245頁にわたってまとめられた膨大な書誌目録に目を通していくと興味深い発見をすることができる。まず,冒頭にある賀川豊彦の項で確かめてみると,韓国で最初の紹介は『キリスト教入門』で,『私はなぜクリスチャンになったか』というタイトルで,大韓キリスト教書会から同会編集部の訳により1952年に刊行されたことがわかる。
賀川豊彦の代表作『死線を越えて』の場合は,新教出版社(1956年)を皮切りに,63年,75年,82年,85年,89年,93年と7回にわたり出版社及び訳者を変えて刊行されている。同じ著者の『一粒の麦』も刊行されているので,賀川豊彦の著作は3点が刊行されており,翻訳刊行回数としては13回であることもわかる。
このように作家/作品のリストが続いていく。年数を重ねて60年間に日本の作家は620名が紹介され,作家・作品別刊行点数の合計数は2787点,翻訳出版回数(累積)は4660回である。同一作品をいくつもの出版社が競って刊行するケースが多いので,後者の数が前者の数を上回ってしまうのだ。
出版された作品点数上位10の作家名を挙げてみると,三浦綾子146,村上春樹110,村上龍67,森村誠一・梶山季之57,芥川龍之介50,富島健夫・松本清張47,大江健三郎44,川端康成39,渡辺淳一37となる。これに浅田次郎,三島由紀夫,井上靖らが続く。こうした数字を見てみると,三浦綾子,村上春樹の場合は,ほとんどの作品が紹介されているのではないか。
さらに翻訳刊行回数の多い方から挙げてみると,三浦綾子306,村上春樹256,川端康成219,芥川龍之介189,大江健三郎92,三島由紀夫90,森村誠一81,村上龍80,井上靖79,夏目漱石73である。
第1位を占めた三浦綾子について詳しくみると,なによりも『氷点』の異常とも思える人気に驚かされる。この作品は1965年に春秋閣から刊行され,以来40年ものあいだ,なんと28回も異なる出版社から刊行されている。同じ年に複数の版元から刊行されている場合もある(著作権の処理はどうしたのだろうか?)。そのほか『ひつじが丘』『続氷点』『道ありき』『光あるうちに』なども版元を変えて何回も刊行されている。
だが特定作品の刊行回数となると,トップは断然,川端康成の『雪国』(38回)である。芥川龍之介『羅生門』25回も多いほうに属する。韓国では特定作品が決まった出版社から引き続き刊行されるケースはあまり多くはないようで,何年か経つと版元を変えて刊行される場合が多い。だからこのように大きな数字になってしまうのだろう。
10年刻み(2000年代は5年間)で刊行回数をみると,50年代7,60年代641,70年代661,80年代976,90年代1491,2000年代884となる。年を追って右上がりに増えていることがわかる。冒頭述べたように,2006年以降の刊行点数は飛躍的に増えているから,同じ集計を続けたら2000年代(10年間)の合計数はたぶん2000回を超えるだろう。
この書誌データは刊行部数,販売金額という肝心の実績を示すものではない。しかし,特定作家/作品に集中した刊行状況をみていくと,版元の企画が行き詰まったときの救世主が,「日本文学」で,このデータの中に潜んでいるように思われるのだ。そして本書は,韓国ではまだ未紹介の作家/作品を,探り出すための貴重な宝庫でもあるのだ。
日本の出版社も,最近は韓国への版権販売に力を入れるようになった。そのための常備資料としても本書を推薦しておきたい。(出版評論家,翻訳家)
(『出版ニュース』2008年11月下旬号掲載文に加筆、『会報123号』2009年1月から収録)