■ 近世期の出版流通事情(会報116号 2005年8月)
大和 博幸
近世期に出された本の多くは,三都内の本屋のもとで作られ販売されてきた.後期になるにつれ地方でも本が製作されるようになるが,量的に少ない上に主題の広がりにも欠けていたから,地方読者は常に三都から本を受容する立場を余儀なくされることになった.
地方の読者は三都で出された本をどのようにして入手していたのだろうか.入手の手立てとして以下の方法が考えられる.A,近隣の所持者から購入又は書写させてもらい入手する.B,自らが所用で三都へ行く際に購入し入手する.C,知人や出入商人が三都へ赴く際に購入を依頼し入手する.D,三都の板元や売弘書肆へ直接申込み送ってもらい入手する.E,居住地近辺で営業する本屋や貸本屋を通じて入手する.読者はこうした方法を時に応じて使い分けていたのだろうが,専門知識を有する人を介在させるやり方が最も確実かつ安全な入手方法であったに相違なく,後年になるほど懇意な本屋や貸本屋に依頼し入手するケースが増加していったと考えられる.
では,地方読者は三都で出された本をどのような販売流通ルートで入手していたのだろうか.その辺の事情を間接的に示してくれる資料として薬の広告が注目される.薬を売弘る本屋は少なくないが,一例として江戸の英(屋)文蔵を取上げてみる.英(屋)は,漢学・国学書,漢詩文,往来物など多様な主題の出版を手がけると共に,「登龍丸」(たんせきりういん薬)の製造元で販売も行っていた.巻末に記された「登龍丸」の売弘所を整理すると,江戸,大坂,京都,名古屋,松坂,三河吉田,中泉,浜松,駿府,甲府,厚木,伊勢原,熊谷,那古,上総一ノ宮,勝浦,木更津,佐原,多古,銚子,成田,鹿島,土浦,常陸札村,鉾田,水戸,上田,稲荷山,小諸,善光寺,高遠,松本,下仁田,高崎,今市,宇都宮,鹿沼,黒羽,佐野,栃木,安沢,相馬,二本松,福島,若松,仙台,山形,三条,新発田,水原,長岡,金沢,萩,熊野,若山,徳島,高知,小倉の五十八ヶ所となり,国内の主要地をほぼ網羅していたことがわかる.これは無論薬の売弘所なのだが,そこに記された九十人を調べるとその内六十人は本屋ないしは本も扱っている商人であることが確認でき,「登龍丸」と本の販売流通ルートが重なり合って機能していた状況が理解される.
越後柏崎の本屋七左衛門が作成した引札には,三都で出された本を三十日限で調達すると記されている.「登龍丸」の売弘所に記された人たちも,本屋を主業とするものばかりではなく薬・小間物・小道具・書画・荒物・雪駄・太物など多様な商いを兼業する商人で構成されている.こうした事例から考えると,近世後期には関連する異業種の商人との関係を強化しながら,地方でも三都で出された本を一定期間内に調達できるシステムの形成が意図的に進められていたと考えてよいように思われる.