生きた教材を創刊号に求めて  伊藤洋子 (会報113号 2004年9月)

■ 生きた教材を創刊号に求めて (会報113号 2004年9月)

伊藤洋子

 編集は関わり業だ! とかつて先輩編集者は教えてくれた。その果てに,いま,教師という関わりの場を得たように思う。学生との出会いは刺激的で楽しいが,他方で編集者とは異なる責任を実感している。そしていま,雑誌とはなんだ? メディアに関わるということとは? と,きわめて原初的な問いがつきまとう。いまさら,の想いなのである。
 編集者一本槍の時代には問うこともなく,毎号の企画・編集に日々追われつつカッカとしながら精一杯て楽しんできた。
 1912年(大正11)菊池寛は『文藝春秋』創刊号の巻頭<創刊の辞>で,
「私は頼まれて物を云ふことに飽いた。自分で,考えているいることを,読者や編集者に気兼なしに,自由な心持で云って見たい。友人にも私と同感の人々が多いだらう。又,私が知っている若い人達には,物が云いたくて,ウヅウヅしている人が多い。一には,自分のため,一には他のため,この小雑誌を出すことにした。」と,語る。
 2004年春,フォトジャーナリスト・広河隆一は『DAYS JAPAN』編集長として
「-略- 9・11事件の後,日本のマスメディアはアメリカに追従する道を選んだ。大儀なきアメリカの戦争を多かれ少なかれ支持してしまった。その結果,報道は,攻撃する側,爆撃する側からのものに偏った。 -略- アフガン戦争でもイラク戦争でも,アメリカのメディア戦略は勝利した。そしてメディアは敗北したのである。 -略-
 ジャーナリストの本来の役割は権力の監視ではなかったのか。-略- 時代を読み取る目を失いたくない。メディアを自分たちの手に取り戻したい。
 こうして私たちは『DAYS JAPAN』の創刊を決意した。
『一枚の写真が国家を動かすこともある』
『人々の意志が戦争を止める日が必ず来る』
 この本誌のスローガンが実現する日が来ることを信じて,読者とともに『DAYS JAPAN』を育てていきたい」と,<創刊のことば>を記す。
 時代を超え,手段を違えて,ともに表現者として,既存のメディアに飽き足らず,“もう一つのメディア”を立ち上げた。そこには熱い想いがあふれている。
 とくに,現在を共にする広河の『DAYS JAPAN』は,優れた写真はもちろんだが,それに勝るとも劣らない編集者の熱意と迫力が,読者である私の心を揺さぶる。いまという時代を相手にする編集者の,体温計を振り切るほどの熱さが,平熱以下の生ぬるい読者を引き込んでいく。日頃イラク戦争のことなど眼中にないといった学生が,この雑誌を見て目の色を変えたのは1人や2人ではない。
 原初的な問いへの答えが,既成のメディアに飽き足らずうずうずとした想いから発する創刊号には歴としてある。「学者」になれず,編集者として中途半端な私には,眩しくて,羨ましい,貴重な教材である。

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