■ マス・メディアと教育 (会報108号 2002年8月)
塚本晴二朗
日本マス・コミュニケーション学会は,昨年度から「ジャーナリズム及びマス・コミュニケーション教育に関する調査特別委員会」を設置し,今年度本格的な調査に入ろうとしている.
今年10月19日(土)・20日(日)の両日に行われる,日本広告学会・第33回全国大会では,大会テーマを「広告教育と広告人育成」とし,テーマに基づいた講演やシンポジウムが予定されている.
マス・メディア研究者の間で,教育が一つの大きなテーマとなっている現れであろう.もちろん,大学に所属している研究者を始め,研究者の多くは教育者でもあるのだから,当然と言えば当然のことではある.しかし,これまでマス・メディアの現場と大学教育との連携は,必ずしもうまく取れてはおらず,大学関係者がそのような議論をしてみたところで,マス・メディアの側は全く関心を示さない,ということも少なくなかった.
1947年にプレスの自由委員会が発表した『自由で責任あるプレス』は,プレスの社会的責任を強調するとともに,その担い手たるジャーナリストを養成する,大学における「ジャーナリズム教育」を,プレスの社会的責任にとっての根本的な問題として論じている.
また,戦後日本を民主化するにあたりCI&E(GHQの民間情報教育局)のダイク局長は,新聞倫理綱領と日本新聞協会にあたる組織を作るよう要望した発言の中で,「さて,私が日本を去るに際して日本の新聞界に望みたいことは次の三つである」として,その3番目に,「次代の新聞人を養成するための教育機関を整備すること」(『日本新聞報』1946年6月10日付)としている.この発言をうけて,新聞課のインボデン少佐も「今度新たに結成される『日本新聞事業主,編集者協会』に対する参考意見を左に申し述べます」として,その2番目に「日本の各大学に『本当の意味の新聞科』(Real School of Journalism)が設置されるよう努力すること」(『日本新聞報』1946年6月27日付)としている.何らかの改革が必要とされるとき,教育に目が向けられる,ということだろう.
「メディア規制三点セット」に代表される,メディアを抑圧しようとする圧力は,マス・メディア企業自らが招いたものだともいえる.倫理観の欠如と,それに伴う受け手からの不信感は,そのまま放置しておけないところまで来てしまった.
日本のマス・メディア法制は,基本的には言論・表現の自由にできるだけ制限を加えず,そればかりか,ジャーナリストに「特権的」な地位さえ与えようとするものである.そのため,自らの大きな社会的責任の重要性を学んだ者がジャーナリズムの現場に出る必要が生じてくるのである.
日本出版学会は,「理論・教育部会」という常設の部会を持つ学会である.出版業界と手を携えて,ジャーナリスト教育のあるべき姿を先頭に立って示すべき時が来たのではないだろうか.