「電子出版の進展と図書館の役割」 湯浅 俊彦 (会報128号 2010年9月)

電子出版の進展と図書館の役割
湯浅 俊彦

この1年、電子出版をめぐる環境は大きく変化した。
「iPad」、「Kindle」など日本でも発売された新しいデバイスと「Google エディション」など新たなビジネスモデルのあり方とともに注目されるのは、国立国会図書館の動向である。
 そこで、本稿では電子出版の進展によって変貌を迫られる図書館の役割について考察してみたい。

■ 所蔵資料の大規模デジタル化
国立国会図書館の2009 年度補正予算において、所蔵資料の大規模デジタル化関係経費計上されたことは、実に驚くべき出来事であった。すなわち当初予算は1億3000万円であったが、その100倍近くの総額125 億9800 万円となったのである* 1。
このように国会図書館に巨額の予算がつけられた背景には資料保存のための有効な手段としてデジタル化が位置付けられ、その実行計画を加速化させようしたことによる。つまりグーグルによる図書館プロジェクトに対抗する日本の国家戦略があったといえよう。
この125 億9800 万円の予算によって次のような資料がデジタル化の対象として決定され、原資料やマイクロフィルムからのデジタル化が行われている。
古典籍資料→江戸期以前、図書→大正期、昭和戦前期・戦後期(1968年まで)、国内刊行雑誌→戦前期3300点、そのほか、学位論文、官報など、合計約90 万冊規模。

■ 国会図書館による所蔵資料デジタル化の問題点
しかしこれだけ大規模な予算計画を立てても次のような問題点がある。
(1)国会図書館の蔵書数(2009年3 月末現在)は、図書930 万冊、雑誌890 万点、新聞418 万点、地図 53 万点、録音資料875 万点、マイクロ資料8 万点、博士論文51 万人分、 文書類30 万点の総計3600 万点であり* 2、125 億9800万円ではまだ足りないこと。グーグルがすでにスキャニングによってデジタル化した図書が1000 万冊を超えると言われていることから考えれば、国会図書館の所蔵資料のデジタル化にはさらに10 倍の予算が必要であろう。
(2)国会図書館のデジタル化は画像データに過ぎず、テキスト化については出版界の強い反対があって実現していない。すなわちグーグルのように本文からの全文テキスト検索ができず、利用者は目次から資料を探し出すしかないのが現状である。

■ 電子納本制度導入の納本制度審議会答申
国立国会図書館は電子出版物の増大に対応するため、納本制度調査会(当時)による「答申 21世紀を展望した我が国の納本制度の在り方―電子出版物を中心に―」(1999 年2 月22 日)の趣旨に沿ってCD-ROM 等のパッケージ系電子出版物については2000 年から納入対象とした。
しかし、ネットワーク系電子出版物については、当分の間納本制度の対象外とし、必要、有用と認められるものについては、契約により収集することとしていたのである。
2009 年10 月13日、第17 回納本制度審議会で長尾真館長から改めてオンライン資料の収集に関する諮問がなされ、審議会は「オンライン資料の収集に関する小委員会」を設置し3 回の調査審議を行い、「オンライン資料の収集に関する中間報告」を取りまとめた。そして2010年6 月7 日、中間報告をもとにした「答申―オンライン資料の収集に関する制度の在り方について」が筆者も委員をつとめる納本制度審議会から長尾館長に手交(しゅこう)された。
答申の趣旨は、下記のコラムに示したが、簡単に言えば民間の出版社・出版者等がインターネット等で提供する電子書籍、電子雑誌、電子コミック、ケータイ小説等を発行した場合、国会図書館に納入する義務を負わせる制度的収集が必要であるという内容である。
従来の図書、逐次刊行物に相当するものを、紙媒体のものがあっても収集し、有償・無償は問わず、内容による選別も行わないという条件のもとで収集を実施していくことになる。ただし音楽・動画配信、ブログ、ツイッター、ウェブサイトなどは当面、この制度による収集対象としない。
この答申において「インターネット等」とインターネットに限定しなかったのは、例えば地上デジタル放送を使い新聞・雑誌などの逐次刊行物を所定の日時までに利用者のテレビまで配信するいわゆる「地デジ」の次の「書デジ」プロジェクトが2009年、総務省の「ICT 経済・地域活性化基盤確立事業(ユビキタス特区事業)に選定されるなど、今後の技術的進展を考慮したためである。
「所蔵資料」のデジタル化だけでなく、「電子書籍、電子雑誌、電子コミック、ケータイ小説等」の制度的収集は図書館の大きな転換点である。

■ 電子出版と出版業界
出版販売額の長期的な減少傾向はもはや改善の兆しはなく、今日の出版界では次第に出版コンテンツのデジタル配信が中心的なテーマになりつつある。
それは第1 に、グーグル「ブック検索」著作権訴訟和解案によって出版コンテンツのデジタル配信が不回避であるという現状認識が大手出版社だけでなく、中小零細規模の出版社にも浸透してきたこと。
第2に、出版販売額の低下は出版業界の構造転換によって解決せざるを得ないことが明らかになってきたからである。例えば雑誌販売額の低迷は、購読者が減っただけでなく、広告モデルの変化―すなわちネット広告の優位性という雑誌メディアそのものの凋落を意味するところとなり、出版業界は死活を賭け、電子出版のビジネスモデルの構築に取り組むことになったのである。
第3 に、国立国会図書館の所蔵資料の大規模デジタル化、納本制度審議会による「答申―オンライン資料の収集に関する制度の在り方について」など、所蔵資料をデジタル化することと「電子納本」への取り組みが出版業界に意識変革を迫っているためである。

■ 電子出版から書籍データベースへ
単行本の刊行後しばらく経つと文庫化されるように、これまで電子書籍として配信されるのは既刊コンテンツの二次利用という側面が強かった。
このような電子出版に変化をもたらしたのはiPad である。例えば2010 年5 月、講談社は作家の京極夏彦氏の新刊ミステリー小説『死ねばいいのに』をiPad、iPhone、ケータイ、PC 向け電子書籍として販売すると発表した。
紙の本は税込1785 円だが、ケータイ向け以外の電子版は販売開始から2 週間がキャンペーン価格で735 円、その後は945 円としたのである。ついに大手出版社による新刊電子書籍の発売である。
しかし一方で、これはまさにいつかどこかで見た光景でもある。すなわち「電子文庫パブリ」が新興の電子書店への防衛的措置から作られたように、アップルが「iPad」というデバイスを市場に投入し、著者と直接契約を結ぶことになれば出版社には打つ手がない。さらに2010年8月から出荷される「Kindle」新モデルでは日本語表示も可能となった。
すでに講談社など大手出版社31 社は2010 年3 月、「日本電子書籍出版社協会」を設立、「電子文庫出版社会」が運営していた「電子文庫パブリ」を継承し、より主体的に電子書籍出版取り組むこととなった。
しかし、アマゾン、アップル、グーグルなど新しいプレイヤーの登場は出版社による1点1点の電子出版物という概念から「書籍データベース」への有償のアクセス権販売というビジネスモデルに移行しつつあることが分かる。コンテンツを提供する出版社の相対的な地位低下は否めない。

■ 電子出版と図書館、そしてデジタル・アーカイブ
2007年に亡くなった作家の小田実氏の『小田実全集』(講談社)が2010 年6月にPC とiPhone 向けに電子書籍として刊行された。電子版は税込7 万8750円、紙版は注文してから制作するオンデマンド出版として全82 巻で31 万7415円という4倍以上の価格差があった* 3。
また、2010年6 月、作家による読者直販のiPad、iPhone 向け電子書籍販売サイト電子書籍「AIR エア」が作家の瀬名秀明氏らによってスタートし、新作小説、エッセイ、評論などを配信している* 4。
今後は紙媒体が刊行されないボーン・デジタル出版物の増加が確実に予想される。紙の本にならなければ収集しないという姿勢では、もはや図書館は今日における情報の集積地とは呼べず、紙の本の巨大な倉庫になってしまうだろう。
2012年度から文部科学省が省令で定める図書館司書資格科目が新カリキュラムに移行するが、そこでは従来の「図書館資料論」は「図書館情報資源概論」となる。「図書の館」からの変貌を迫られている図書館の状況がこの名称変更からも読み取れるであろう。
紙の本という、いわば情報が搭載されたコンテナーを収める「正倉院」的機能ももちろん重要だが、利活用されるべきコンテンツのプロバイダーとしての図書館像を新たに創出することは喫緊の課題である。
そのとき国立国会図書館の果たす役割は大きい。国の費用によってデジタル・アーカイブを構築し、これを公共財として国民の利用に供する一方で、有償アクセスモデルや電子公貸権モデルなど、出版社によるコンテンツの再生産を阻害せず、むしろ支援するような新しいしくみを確立することがもっとも重要な課題なのである。
読者・利用者のために出版界と図書館界の利害調整を図らねばならないだろう。
(夙川学院短期大学)

* 1 「平成21 年度補正予算による大規模デジタル化」『国立国会図書館月報』579 号(2009.6)p.34
*2 「数字でみる国会図書館」http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/numerically.html(引用日:2010-08-03)
*3「小田実全集 電子書籍版・オンデマンド版について」http://odamakoto.jp/edition.html(引用日:2010-08-03)
*4「電子書籍AIR」公式サイト
http://electricbook.co.jp/
(引用日:2010-08-03)