ワルシャワ国際ブックフェアに参加して  橋元博樹 (会報126号 2010年1月)

■ ワルシャワ国際ブックフェアに参加して (会報126号 2010年1月)

 橋元博樹

 54回目を迎えるこのワルシャワ国際ブックフェアはヨーロッパでもフランクフルトに次ぐ古い歴史を持つブックフェアである。社会主義時代から西側諸国を含めヨーロッパ中の出版社が一堂に会して展示販売が行われていたというからヨーロッパのほぼ中央に位置するワルシャワは,こと書籍の取引に関しては歴史的に東欧と西欧の架橋となっていたようだ。
 ポーランドの人口は3800万人なので,それほど大きい出版市場があるわけではない。だが書籍の売り上げは右肩上がりで伸びており,2008年の売上は日本円にして約900億円,前年度比12%の増である。母国語であるポーランド語のほかに英語,ドイツ語が比較的使用されているからだろう,1989年からの市場経済への移行にともなってイギリス,ドイツなどの大手出版社が支社を設立し活発な出版活動を行った。一方,ほんの一部のマンガ出版社を除いては,日本の出版社の参入は今でもみられない。
 そうしたなか,2009年5月に開催されたこのブックフェア会場の一角に日本ブースが設営された。日本ブースはしばらく途絶えていたのだけれど復活して3年目を迎える。運営は在ポーランド日本大使館,国際交流基金,そして出版文化国際交流会である。三社の共同運営とはいっても現地での運営は在ポーランド日本大使館職員の方々の力に負うところが大きいのはいうまでもない。微力ながらわたしも国際交流基金・出版文化国際交流会による日本からの派遣専門家として5月21日から4日間の運営に参加したというわけである。
 今回のブックフェアは31カ国から約500社が参加した。クロアチア,ブルガリア,インド,ギリシャ,ウクライナ,ドイツ,イギリス,そしてアメリカ合州国などである。多くの国際ブックフェアがそうであるように,このブックフェアも必ずしもプロフェッショナルのためだけというわけではない。4日間を通しての入場者数は約52000人。入場料の7zl(約300円)という手軽さをみてもわかるとおり,一般の読者向けのイベントでもあるのだ。初日のビジネスデイだけは主に出版社同士の版権交渉の場となるが,二日目からワルシャワ市民がどっと押し寄せると迷路のような会場は身動きがとれなくなる。有名作家のサイン会,講演会,各種文学賞の授賞式,そして子供向けの読み聞かせなど,家族連れの市民にとっても年に一度の貴重な娯楽の場でもあるのだ。それだけに出版社にとっては重要なセールスの場所となり,展示書籍が20%のディスカウント,あるいは50パーセントのディスカウントで販売されている。
 日本ブースは18平米ほどの広さ。「文芸・芸能」「マンガ」「語学」「写真集」「一般書籍」など,日本から送られてきた400冊の書物がそれぞれジャンルごとに面陳で並べられている。日本の伝統芸能に関する書籍やマンガなどが多いのは予想通りだが,なかには岩波書店,東京大学出版会の書物などの学術書もある。このわずか18平米のブースにはひっきりなしに人が訪れる。日本を紹介した英文図書,写真集,日本文学のポーランド語版なども展示していたが,多くは日本で出版されている日本語の書籍である。日本の書籍をどのようにして手に入れているのか,というわたしの質問に対して日本史を専攻するあるポーランド人研究者は,オンライン書店を使えば不便はない,と述べていた。(オンライン書店とはこの場合,Amazon.co.jpやKinokuniyaなど日本法人のことを指す。ポーランドにはAmazonはじめ主だった外資系のオンライン書店は参入していない)。しかし,訪れるほとんどのポーランド人には日本のオンライン書店で和書を注文するだけの日本語能力があるわけではないことは,少しでもブースで彼らの応対をしてみればわかる。そして,ブースでしばしば聞かれる,この日本の書籍を購入したいのだがどうすればよいかというポーランド語でのリクエストに「ここの書籍は販売できません。ブックフェア終了後には日本大使館の日本文化センターに寄贈されますので,そちらでお読みください」と答えるしかない大使館職員の残念そうな顔が印象に残った。ポーランドには日本の書籍を扱う書店,輸入業者がない。だから,この1年に一度の日本書籍の展示は彼らが日本の書籍に触れることのできる数少ない貴重な機会なのである。
 日本ブースの隣は大手文芸出版社ムーサのブースである。この出版社は村上春樹の翻訳出版元でもある。村上の新刊は初版3000部ほど。東欧での日本研究の拠点ともいえるワルシャワ大学日本学科には村上春樹を読んで日本学を志す学生が多いという。その日本文学をポーランドでいち早く紹介したのは国立出版研究所。1946年に創業したこの老舗の出版社は芥川の『河童』の翻訳出版元であり,従業員が20名と小規模だが今でも良質な文学書,学術書を発行している……。紙幅が尽きたので,その他ブックフェアの詳細な報告,ポーランドの出版・書店事情は「出版文化国際交流会会報」No.188や「大学出版」80号掲載の拙文をご高覧いただきたい。
 最後に,この伝統あるブックフェアを主催する出版貿易会社ポローナ社代表のグゾフスキ社長が,最終日にわざわざ日本ブースを訪れて,そう遠くない将来に日本の国際ブックフェアにもポーランド出版界として出展したいとの意向を示されていたことを付け加えておく。

(東京大学出版会)