能勢 仁
ギリシャのアテネは神田神保町に似ていた。靖国通りとすずらん通りに相当する書店街があった。大学通り(正確にはパネピスティミゥ通り),アカデミアス通り,ソロノス通りに三通りが並行してあり,約1km(神保町~九段下)に亘って書店があった。大学通りには,ギリシャNo.1書店のエレフセロダキス本店(1~8F,700坪,チェーン店8店)を中心に,二番店パソタリオ書店をはじめ21店舗が並び,アカデミアス通りには通り一番店のパタカ書店(340坪)他14店舗,ソロノス通りは出版社直営書店が多く,20~80坪と中規模店が24店舗あった。ザムポス書店,アンディ書店のウィンドウ陳列は見事であった。
アテネの街を歩いていて,ロンドンのチャーリングクロス通りを思い出した。書店,古書街の雰囲気はよいものである。ニュージーランド南島のクライストチャーチにアンティック通りがあり,約20店の古書店が軒を連ねていたのは,まさに神保町そのものであった。
雑誌と書籍を並列販売しているのは日本だけである。ハンガリーのペスト地区ではヒルラップという市営の雑誌スタンド店が市内各所の街路上にあった。約2坪の独立店舗で,月~金9時半~17時の間開かれ,200誌が陳列され,女性一人が店番していた。中国では郵政事業兼雑誌スタンド店を街角で見受ける。
ベルギーでは,街中にニュースプレスがある。10坪前後の大型キオスクと思えばよい。雑誌,新聞をはじめペーパーバックも置いている。その他パン,牛乳,化粧品等,半分が出版物のCVSである。
諸外国では雑誌の別流通が正常であったが,近年その現象が薄れはじめている。日本発の雑誌事情が各国に伝播したのであろうか。特にボーダーズ(米国)の雑誌扱いは顕著である。国内のみならずクアラルンプール,シンガポール等海外に進出した店でも大々的に雑誌陳列をしていた。1500アイテムは扱っていた。
アジアでは台湾,誠品書店は雑誌,書籍共地域一番店である。中でも06年にオープンした台北新義店はアジア一番の店である。
社会主義国で出版流通に関して市場経済の導入が顕著である。店名こそ新華書店(中国),ドム・クニーギ(ロシア)と統一されていても,流通事情は資本主義化されている。中国では国営書店の新華書店が1万1000店であるのに対し,民営書店は11万店に達している。ドク・クニーギノ経営者は民間人であり,別荘持ちの書店人もいた。ベトナムは政治体制は社会主義であるが,出版は市場経済化され,書店経営にも競争原理は働いていた。
全く自由のない国は北朝鮮である。ピョンヤン市内の17の各区に一書店?があるだけである。書店名が書かれているわけでもなく,官書センターである。朝鮮労働党の機関紙,誌,党刊行物,金日成著作物しか陳列販売されていない。こどもの本,文藝,実用書などは無い。出版,言論の自由は微塵も感じられない。出版物の発行の自由について,中国も不自由である。出版社数は579社(07年)であるが,すべて国営で,民営はない。言論,思想について国家検閲が可能な出版事情である。
旧被植民地国家の書店活動は活発であった。旧来の先進?支配国家の進出傾向を地元書店が牽制している。ジャカルタのグラメディア書店,シドニーのディモックス書店,台湾の誠品書店,ニュージーランドのホイットコール書店,バンコクのアジアブックス等である。
イタリア,ドイツ,スウェーデン,フランスでは書店の専門性を強く感じた。イタリアの書店には大型書店がない。歴史,史跡の多い国であるが故に商店街の近代化が遅れているからである。
複合書店は日本の専売特許ではない。日本にもない複合大型書店をドイツのウィスバーデンで見ることができた。フランクフルトブックフェアに行く途中,滞在したウィスバーデンで,その店に出会った。その書店はハーベル書店(B1,1~3F,約1000坪)である。書店+伊東屋+IKEAという感じの店である。中でもインテリアコーナーが良かった。台所用品,家具,浴槽用品,リビングなど,売場の中に家庭が展開されていた。テーマと関連するグッズと書籍がコラボレートされ,新しい感覚の商売を目の前にした思いであった。
今,韓国では書店が大きな問題に悩んでいる。それは読者がリアル書店で本を選びネット書店に注文して本を購入する図式が定着しつつある。しかもネットで買うと20%オフは当たり前なので,今やネット販売額が業界全体の30%に達しようとしている。
その現実を目の前にすると,日本の再販制の有難さを感ずる。しかし我々は再販制度を空気のように思っていないだろうか。今一度,再販制度を意識し,守る必要があると思った。