活字メディアと映像メディア  清水英夫 (会報110号 2003年7月)

■ 活字メディアと映像メディア (会報110号 2003年7月)

 --清水英夫

 雑誌編集者だった私が,法学者として大学に移ったのは40歳を越えてのことである.だが,その後も日本出版学会の創立に参加したり,自らも『現代出版学』を上梓するなど,メディアに対する主な関心事が依然“出版”にあったことは間違いない.それが,80年代の半ばころから,映倫の委員を委嘱されたり,放送局の番組審議会委員を務めたりしているうちに,いつのまにか映像媒体を中心に研究したり,発言することが多くなった.
 そのような経過のなかで,私のメディア観も,自然に活字と映像(視聴覚)にまたがって展開することになった.いわゆるメディア倫理問題についてもそうで,メディアによる違いがいやでも目につくし,考えざるを得なくなるのであった.そのことは,いま焦点になっている第三者機関についても言えるのである.
 私が,最近まで委員長だった「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)は,第三者による紛争処理機関であるが,このような業界横断的な機関は,出版界はもちろん新聞界にも存在しないし,これからも実現するとは考えられない.メディアの活動に関して第三者機聞は不要であるし,好ましくないというのは,これまで放送を含むメディア関係者の共通認識だったように思う.
 しかし,90年代の半ばころから,メディアに対する風当りが急に強くなってきた.しかも,公権力のみではなく(それは今更始まったことではない),市民レベルの反発も目立つようになり,弁護士団体などからも“報道と人権”という角度から強い批判を受けるようになった.
 そのような空気を敏感に察知し利用したのが政界であり,メディア界に対して紛争処理の第三者機関の設置を強く迫ることになった.その結果,生れたのがBRCであるが,不要論の強かった新聞界でも第三者による委員会が次々に実現した.しかし,新聞界の場合はBRCのような業界横断的なものではなく,個々の新聞社が自主的に導入したところに大きな相違がある.
 その違いは,どこから来るのであろうか.伝統や役割の相違とか,放送局にくらべて新聞社はより個性的であるとかの理由が考えられる.しかし,その点では雑誌を含め出版物のほうが,はるかに歴史が長く,又個性的でもある.そこへいくと,テレビなどは,局は違っても異質な部分よりも同質的な部分が多いように思われる.
 視聴者の側からしても,テレビの視聴は同じ画面から情報を受け取るのであって,どこの局の番組かは余り意識しないのが一般ではなかろうか.そういうメディアであると,番組に対する苦情も,局というよりはテレビ界に対して行なわれるという部分が,かなりあると思われる.出版の特徴を考えるときも,このような視点が案外重要なのではなかろうか.