東洋文庫の50年 関 正則 (2014年11月18日)

■出版編集研究部会 発表要旨(2014年11月18日)

東洋文庫の50年――複数のアジアのために

関 正則
(平凡社)

 1963年,日本オリジナルの東洋学叢書の形成を目指して創刊された平凡社の東洋文庫は,2013年に創刊50年を迎えた。日本初のグラフィック・マガジン『太陽』と同時に,新たな「知の秘境」を開拓する,同社の出版プロジェクトの「両翼」として創刊され,アジア諸地域の代表的な古典,知らざる名作,貴重な日記・紀行文など,これまで850点余りを刊行し続けている。
 創刊は,『楼蘭――流砂に埋もれた王都』(アルバート・ヘルマン著,松田寿男訳),『唐代伝奇集1』(前野直彬編訳),『鸚鵡七十話――インド風流譚』(田中於菟弥訳),『日本史1――キリシタン伝来のころ』(ルイス・フロイス著・柳谷武夫訳),『アラビアのロレンス』(R.グレーヴズ著・小野忍訳)の5点で,今考えても斬新なラインナップだった。
 その特徴は中東からインド,中央アジア,東アジア全体を覆った地域バラエティの豊かさ,政治や文化の中央ではなく,文化が「交流」する周辺・地域へ着目したこと,「正史」「古典」ではなく,「他者」「移動」の視点と「物語」への憧れ,一流の訳者陣と批評的翻訳,モダンでクラシックな装丁で注目されてきた。
 東洋文庫は,東洋学の伝統的な古典を「ひとつのアジア」を目指し,統一的なヴィジョンで体系的に刊行する閉じられたシリーズではなく,こうした東洋/アジア全域に散らばる埋もれた古典と文献を拾い集め,むしろ「複数形のアジア」を念頭に「基層」「民俗」「周辺」のアジアを描き続ける「アジアのエスノグラフィー」を目指す,開かれたプロジェクトである。同時に,東洋文庫そのものがきわめてハイブリッド(hybrid)な性格を備えている。例えば,日本の漢学,ヨーロッパ(特にフランスの)東洋学,清朝考証学,京都大学の支那学,西域学,民族学,植民地学……など,その系譜を挙げれば切がない。
 しかし,なぜ「東洋/アジア」なのかと問われれば,平凡社の創業者・下中弥三郎の「アジア主義」と,それを批判的に継承した二代目の下中邦彦の出版理念まで遡るだろう。戦前の1937年刊行『東洋歴史大辞典』(全9巻)で,弥三郎は「世界は今に西に暮れて東に明けんとしている。永らく西に注がれていた人類の目は徐に東に転じ始めた。『亜細亜を知らずして世界を語る能はず』の意識が,日に日に高まって来る。特に我ら日本人にとりては,亜細亜は文化的にも地理的にも経済的にも一体としての運命共同体である」と謳いあげている。戦後1959年刊行の『アジア歴史事典』にも,折からのアジア・アフリカの民族運動の気運の中で,民族の独立と平和の思想が込められている。
 こうした弥三郎の強烈・高邁な思想性に対して,社の出版指針として「写真と民俗」を語った邦彦は,はるかにリアルかつクールであった。東洋文庫の「創刊の言葉」は次のような控えめな言葉で始まる。「アジアの先人たちが築きあげてきた文化は,今なお脈々として私たちの中に生きています。しかし,近代以降,西洋文明に馴れ親しんできた私たちにとって,アジアの文化や古典は,“むずかしいもの”“とりつきにくいもの”と思われがちでした。けれども,それらの古典の内容は,読み解いてみれば,じつに興味深い思想をもち,また尊い人間の記録として,私たちを感動せしめるのです。」
 この弥三郎と邦彦の二人の異なる個性と思想が結合したところに,「東洋文庫」誕生の秘密があるように思う。東洋文庫は,従来の東洋思想や東洋史がその源流としたインドやアジアといった地域に偏ることなく,アジアの豊かで多様な英知とダイナミックな交流,深遠にして流麗な,時には笑いに満ちた表現を探し求め,発掘し続けている。
(参加者:会員3名,非会員4名)
(文責:関 正則)