「「紙の本」とは何かを考える」高橋文夫(2024年10月9日)

■日本出版学会 出版産業研究部会 開催報告

「「紙の本」とは何かを考える
 ――高橋文夫氏の『スマホ社会と紙の本』から」
 高橋文夫(元・日経BP社)

 
 出版産業研究部会は、2024年10月9日(水)に、元・日経BP社の高橋文夫氏を報告者に迎え、研究部会「「紙の本」とは何かを考える――高橋文夫氏の『スマホ社会と紙の本』から」を開催した。当日は報告者の招待により参加した、論創社の森下紀夫社長、南雲智顧問、宮脇書店の宮脇範次社長を含む20名が八木書店本社ビル会議室に参集した。
 高橋氏は日本経済新聞ニューヨーク特派員、編集委員を経て、日経BP「日経ビジネス」「日経コンピュータ」発行人・局長、専務編集担当、日経BP出版センター(現日経BPマーケティング)社長などを歴任。同社を退いて以降は、日本記者クラブ個人会員・日本外国特派員協会正会員に所属。日本出版学会にも長く所属されていた。2024年に『スマホ社会と紙の本』(論創社)を上梓。『雑誌よ、甦れ』(2009、晶文社)『本の底力 ネット・ウェブ時代に本を読む』(2014、新曜社)に次いで、10年ぶりの刊行となる。
 『スマホ社会と紙の本』では、「紙の本」とは何かについてを、実態・概念の両面から追及しており、「読者から見る本」の議論として大変に充実している。加えて、紙の本といわゆる「サードプレイス」との関係などにも言及した、出版物を扱う上でも参考とすべき重要な一冊と位置付けられよう。本部会では、高橋氏が本書の論考をなぞりながら、本書で描き切れなかった点、より強調して伝えたい点を補講する形で進められた。
 紙の本が持つ特性・機能について、高橋氏は作家や学者・評論家等が記した膨大な文献から紐解き「モノとしての本に忘れがたい思い入れや知覚的な愛着が存在する」ことを解説。紙の本が持つ3つの特性として「本のアフォーダンス」「里程標としての本」「サードプレイスとしての本」を掲げた。
 「アフォーダンス」は米J・J・ギブソンが提唱する、環境のもつ要素が人間や動物の行動に影響を与えることを示す概念であり、電子書籍がいまひとつなじみにくい理由の裏には、紙の本の持つ物質性がまさに人に読むことをアフォードしているために、紙の本にこそ愛着を感じさせるのではないかと説いた。
 本が持つ「里程標」としての特性については、高橋氏自身や、シュリーマンなどの幼少期の読書体験などに触れ、読書体験が人生においての墓石のように象徴的な存在となり、そこで得た情報と感覚を繰り返し追体験し、同じような形で発することができると説いた。
 「サードプレイス」とは家庭・仕事場に加えた第三の居場所として提唱される概念だが、本がある空間はサードプレイスとなじみが深い存在であると主張した。とかくパーソナライズされてしまうWeb社会と異なり、図書館や書店に並ぶ本からはさまざまな情報への偶然の出会い=セレンディピティが発揮されるとした。
 そこから高橋氏は紙の本の「活字情報」とスマホ社会の「デジタル情報」の相補性について言及。紙の本が持ちわせている〈プッシュ型情報として補正〉〈想像力の啓発〉〈集中力の涵養〉といった利点と、デジタル情報が得意とする〈双方向性〉〈検索可能性〉〈大量迅速なデータ活用〉といった点は相補性があり、共存しうると説いた。その一例として、紙の雑誌媒体とデジタル・ECを活用しながら読者コミュニティづくりを行う『ハルメク』や、フランス政府が若者へ文化接触機会を支援するためのカルチャー・パス」などについて触れた。
 そして、「紙の本がデジタル社会で取り扱いにくいものを補佐・支援しうる」とし、デジタル社会だからこそ目に見えないものの価値やあいまいさを受け入れる柔軟さ、人と人との関係から生まれるモノやサービスがより大切になる、その際に、紙の本はデジタルで取り扱いにくい〈要白〉〈クオリア〉〈間〉〈気配〉等を研究する上の良き補佐役になると説いた。
 後半の質疑応答では、会場から「高橋氏が現役を退いて以来、深い調査研究を行い、執筆活動を続けられているモチベーションはどこにあるのか」という質問もなされた。それに対し高橋氏からは「自分は日経BP時代からIT技術の最先端に触れていたが、デジタル一辺倒で本当に良いのか、というところには疑問があった。いっぽうで出版社などの既存メディアにいる人たちには、いまだにデジタルが苦手だという声が多い。自分自身が触れてきて感じた、デジタルの利点と紙の本の優れている点は共存できるのではないか。雑誌を中心に出版自体が厳しい状況にあるのはわかるが、ぜひ現役世代にはあきらめずに工夫して頑張ってもらいたい」という回答がなされ、今もなお出版に対する熱い思いを感じることができた。
 高橋氏は登壇時に「本書で描くことはあくまで読者から見た出版論であり、現在の出版産業・市場について論考するものではない」と重ねて強調していたが、本書をもとにした発表は、現在の出版・雑誌産業に関わる立場の筆者にとっても、多くの示唆に富み、刺激を受けるものとなった。本書が読書に関心のある人から出版産業に従事する人まで、さらに多くの人たちに読まれることを願ってやまない。
(文責:梶原治樹(扶桑社))
  
日 時: 2024年10月9日(水) 18:30~20:00
開催方法:リアル開催(八木書店本社会議室)
参加者: 21名(会員:10名、非会員:10名、報告者:1名)