江戸の出版と近代 橋口侯之介 (2015年6月1日)

■出版技術・デジタル研究部会 発表要旨(2015年6月1日)

江戸の出版と近代――明治20年問題

橋口侯之介 (誠心堂書店)

 江戸時代の盛んな出版の背景には,出版元である本屋たちの熱心な活動があった。木版印刷が軌道に乗ると,一方で「海賊版問題」が起きた。それを防止するために,板元たちは本屋仲間を結成して対処した。正当な板木所有者の権利を擁護し,株を与えたのである。これを板株(はんかぶ)といい,売買の対象となった。取引は「板木市」で行われ,買った店は新たな板元として出版権を手に入れることができた。特殊な出版販売形態だが,きわめて頻繁に行われ,実際に板木が転々と移動した。板木市は本屋仲間公認の入札・競り市場で,同時に古書の売買も行われた。現在にいたる古書市場のはしりである。
 さらに共同出版や数軒で板木を持ち合う相合株(あいあいかぶ)があって,本屋仲間が把握した。江戸時代後期には半数以上の本がこの仕組みを利用していた。こうして本屋仲間が配下の本屋たちの出版物を全面的に管理したのが江戸時代独特の制度だった。この慣習を守りながら本屋は代々継承していくのがふつうだった。
 ところが,明治初期の10年,20年の間にこの永年の仕組みが崩壊する。和装から洋装へ,木版印刷から活版印刷へ,和紙から洋紙へと,出版物の形態にも大きな変化があらわれた。それにともない生産工程も流通形態も変わったが,問題はそれだけではなかった。
 新しい時代に価値観が変動し,本の需給関係が乱れるなど様々な影響があったが,とりわけ明治8年に出版条例が発布され,内務省が検閲をするようになって本屋仲間の役割が不要になったことと,明治17年に古物商取締条例が発布されて新本と古本が分離されたことなど,政策によってもたらされた問題が江戸的な仕組みを否定した。当時,活発に出版活動を開始したのは新しい資本による出版社で,江戸時代から続く本屋は逆に,大半が廃業してしまうことになる。
 出版物に対する価値観の変化,技術の進展,制度の変化,資本の発達など複合的に起きた状況により,旧来の職人も潔しとせず新会社の印刷工・製本工にはならなかった。江戸時代の独自な制度にあまりにも依拠し過ぎてきた本屋は柔軟に対応できず,結局,やめる決断を下さざるを得なかった。明治20年という時期は,そこに携わっていた人の精神面にも大きな影響を与えたのだ。この明治期の問題は,書籍が電子化されていこうとする現代へ,ひとつの示唆を与えている。
*参加者20名(会員11名,非会員9名),会場は中央区立ハイテクセンター(八丁堀)。
(文責:田中 栞)