近現代出版物の製本構造について――本を解体してみる
田中 栞
(東京製本倶楽部会員)
日本の出版物の製本形態は,明治の近代化を経て劇的な変貌を遂げた。この研究会では,明治期(江戸後期刊本も若干含む)の和装本から平成22年発行の洋装本まで,製本作業・造本構造の観点から特徴的と思われる出版物,計100冊を選び,使用素材や製本方法がどうなっているのかを,解体することによって調べてみたものである。
製本史を語れるほどのサンプル数ではないが,それでも,この作業で判明した2点の事柄を,ここに記しておきたい。
1点は和装本の製本方法の変遷である。江戸期は基本的に紙縒(こより)による下綴じを行っている(滑稽本,合巻などの小本は,綴じ代が狭く丁数が少ないせいか,使用されていない)。明治期になると合理化のためか,下綴じは穴のみあって紙縒がなくなる。
今回調査した出版物のうち,最も発行年の遅い和装本は『四声音訓広益会玉篇』全2巻(大塚宇三郎,大正2年第14版)だが,本書の本文紙は袋折りながら,丁付ではなく頁付が刻されている(本文銅版刷)。また『風俗文選』(今古堂,明治24年)は色糸を用いた結び綴じ(平綴じ)で帙入りだが,本文は洋紙に活版印刷され,いずれも洋本としての姿が垣間見える作りである。
和装出版物は明治初年に一掃されるわけではなく,明治20年代までは数多く行われ,和洋折衷なども試みつつ,以後次第に洋装の比率が増えていく。
明治期洋装本(冊子本)の綴じ技法で今回確認できたのは,本かがり綴じ(糸かがり,手かがり),三ツ目綴じ(糸平綴じ,手かがり),針金綴じ(平綴じ)の3種類である。なかでも,今回の作業で判明したもう1点の注目すべき点は,「本かがり(糸かがり)綴じ」の技法の変遷についてである。
本かがり綴じ(手かがり)は,中程の綴じ穴部分,折丁の背側の何か所かに麻紐の支持体を添え,1本取りの糸で第1折から順に最終折まで綴じていく。
現代手製本の本かがりにおいては,第1折の一方の端の綴じ穴から,もう一方の端の綴じ穴まで縫った後,第2折の端の綴じ穴からもう一方の端の綴じ穴まで縫う,つまりそれぞれの折丁ごとに糸を進める。
しかし今回確認した明治初期刊本の本かがり綴じでは,作業の中央部において,第1折を綴じていた糸が途中の綴じ穴で第2折へと移動し,代わりに第2折を綴じていた糸が第1折へ入るという,綴じ糸の交差が行われていた。つまり2折ずつ交互に綴じていることが判明したのである。
こうしたほうが,支持体が万が一断絶しても,折同士がばらけにくいという利点がある。ちなみに折の中央,のどを走る糸は1本である(スマイルズ著・中村正直訳『改正西国立志編』同人社・木平譲,明治10年刊など)。
この本かがり綴じ(手かがり)の方法について,大正期になると変化が生ずる。
手製本で糸かがりを行う場合,すべての折において,一方の端の綴じ穴からもう一方の端の綴じ穴まで万遍なく糸が渡るのが常だが,大正期の何冊かは,綴じ作業の中央部において,第1折の糸が第2折へ入り,1回の運針で2折を綴じてしまうものが出現する。糸がかからない部分があることから,これは「抜き綴じ」と呼ばれている。サンプル数が少ないが,解体した大正期洋装本7冊のうち,3冊がこの抜き綴じであった。
抜き綴じは,効率よくできることと,角背本の場合は背が高くならずにすむという利点がある。しかし,折丁の内側すべてに糸が渡っていないことから,耐久性は劣る(『桜の園外三篇(チエホフ全集3)』新潮社,大正9年刊など)。
機械綴じの糸かがりが出現するのは,今回解体した本の中では柳宗悦『神に就て』(大阪毎日新聞社,大正13年第6版)からである。機械綴じの糸かがりは,支持体は用いず,折丁の中央(のど)に現れる糸は細糸2本であり,手かがりとは全く異なる手順によって綴じる。以後の刊本で,今回解体した大量生産の糸かがり本は,すべて機械綴じであった。
昭和40年代になると,あじろ綴じが出現し,『川柳狂歌集(日本古典文学大系57)』(岩波書店,昭和59年)や金田一京助『新明解国語辞典』(三省堂,昭和47年)など,限られた出版社のものや辞書類などを除くと,あじろ綴じ・無線綴じが席捲するようになる。
以上,一口に「糸かがり(本かがり)」と言っても数種類の方法が行われていることが確認できたのは収穫であった。
※2013年度第2回研究部会,参加者39名(会員23名,非会員16名),会場は日本大学法学部10号館。
(文責:田中栞)