特別報告 出版史研究の手法を討議する:戦前の週刊誌の連載小説の変遷を探る(その1)

特別報告 出版史研究の手法を討議する:戦前の週刊誌の連載小説の変遷を探る(その1)

中村 健(大阪市立大学学術情報総合センター)

ジャンルの名称、変遷を歴史学の手法で検証

 出版学において出版史研究は、創始段階から学問的成果が充実した分野だ。布川角左衛門、他編『出版事典』(出版ニュース社、1971年、)の「出版学」の項は、その性格について、「出版の機能、過程、効果等について史的および現実的視点から解明しようとするものである。主として書籍・雑誌等の印刷メディアを研究の対象とし、理論的解明と技術学的研究の両面をもつ。」と、史的研究の重みを記している。

 箕輪成男氏が出版学の研究手法について「出版学は応用学であり他の諸学の方法を援用する」(『歴史としての出版』弓立社、1983年、261頁)と指摘してから30年余り。芝田正夫会長が会長就任にあたって「最近は出版をさまざまなアプローチから研究する研究者も増えてきました」(「出版文化の総合的な研究をめざして」『出版ニュース』通巻2350号、2014年7月中旬号)との認識を示したように、出版研究は応用領域として発展を続けきた。出版史研究においては、日本出版学会賞受賞作の数々に代表されるように、多様なアプローチによる研究成果が生み出されてきた。

 本稿では、学問としての性格に鑑み、筆者の専門領域から話を始め、その手法の実際と課題、部会討議の内容とその後に考えたことの順で、数回に分けて特別報告を行いたい。

 筆者は、学部生時代に日本史(中世)を専攻、その後、大佛次郎を中心とした大衆文学の研究に移った。最近は、『大阪毎日新聞』『大阪朝日新聞』の新聞小説、『サンデー毎日』などを研究事例に、出版研究の視点から大衆文学を考察してきた。
 学部生時代に学んだ歴史研究の方法をベースにし、「時代状況や変遷の把握→史料の理解→それに基づく先行研究・概念・変遷モデルの検討・批判」という流れを意識して出版史研究を行ってきた。大衆文学研究は、歴史・時代小説の分野については尾崎秀樹氏と大衆文学研究会による『大衆文学大系』『歴史・時代小説事典』『大衆文学の歴史』など全集、事典、通史が編集され、各地の図書館にも所蔵され、研究環境が整っている。最近は、社会学、メディア研究、国文学からの研究者によるアプローチも増えてきている。
 筆者は歴史研究をベースにしてきたが、手法として新聞小説研究においては、福島行一「新聞小説研究法素描――大佛次郎の作品を中心に」『防衛大学校紀要 人文科学分冊』74、1997年3月を参考にしている。

ジャンルの名称、変遷を歴史学の手法で検証

 大衆文学はマスコミと密接な関係の下で発展してきた。新聞小説と月刊雑誌に代表されるマスメディアの伸長にあわせて発展した歴史、読者を意識した文学という性格を指しているが(注1)、筆者は、書き手の多くが新聞記者や雑誌編集者を経験するなど制作者側にいた点も重要な特徴の一つと考えている。次の三論文は、その関係を探ったものだ。
 拙稿「大衆文学の成立――「照る日くもる日」「鳴門秘帖」の登場」『出版研究』39、2008年は、「大衆文学」という言葉の成立時のメディア環境を概観した。平凡社の円本『現代大衆文学全集』の発刊を機に「大衆文学」の名称が広がったとされ、主に東京の広告紙面を用いて語られることが多かった。拙稿では大阪の紙面(朝日新聞、毎日新聞の大阪版)の連載環境を調査した。連載中の掲載紙面の経過を小説、映画化、書籍化、著者に関する広告、記事、社会事件という事項別にわけ年表化し比較したところ、東京版と大阪版では広告の出稿状況が異なり、大阪版が先行していたことが分かった。
 2011年秋季研究発表「『サンデー毎日』特別号「小説と講談」の変遷――戦前の週刊誌考」」では、大衆文学の変遷モデル(いわゆる「書き講談→新講談→読物文芸→大衆文芸→大衆文学」という順でジャンル名が変化し、講談と入れ替わる形で発展してきたと言われてきたこと(注2)を検証するとともに「大衆文学」が、どのような作品の集合体であるかを探った。
 「小説と講談」は、大衆文学作品を数多く掲載したことで知られる季刊の特別号で調査対象としては適している。『サンデー毎日』は、戦前分の総目次(黒古一夫監修・山川恭子編集『戦前期『サンデー毎日』総目次』上・中・下、ゆまに書房、2007年)が刊行され、ライバル誌『週刊朝日』の戦前分の総目次(黒古一夫監修・山川恭子編集『戦前期『週刊朝日』総目次』上・中・下、ゆまに書房、2006年)も刊行されている。現物(一次情報)と目次(二次情報)を適宜に参照しながら、データの収集確認ができる。
 記録の際に、カテゴリの表記が目次と記事掲載面で違うことがあった。筆者は、オリジナルという点から、記事掲載面を採用した。しかし、その雑誌が強調した記事を探るというテーマなら目次や広告の名称を優先し、紙誌面との表記の乖離を考察するという方法もあると思う。
 また、その記事やカテゴリが全体に占める割合・範囲を考える指標は、頁数、字数による範囲、記事個数、掲載順などの順で見た。その結果、従来言われていたより多様な名称と、やがていくつかのカテゴリに収斂していく過程が見えた。また、編集方針の変化は新年ではなく新年度に相当する3月や4月の誌面に良く見られることが判った。
 続く拙稿「大衆文学のトップランナー : 大阪系新聞社に見る大佛次郎」(『おさらぎ選書』20集、2012年5月)では、講談から大衆文学へ移行する際、作品のスタイルの変遷を、表記(漢字数、改行)の違いに求めて探った。当時、文語体から口語体への変化という社会的背景があり口語体に慣れ親しむ読者が増えてきたことから、移行は読者の世代的な変化であり、新聞の表記にそれが読み取れるのではないかと考えたためだ。漢字が少なくなり改行が増え、「読みやすい」作品が増えていた。
 出版者の編集方針を探るにあたって、『出版事典』では「一定期間にわたってその社の出版物(雑誌ではバックナンバー、書籍では出版目録)を系統的に検討することによって、その社の編集方針を看守することができる。」(「編集方針」の項)と述べているが、新聞・雑誌など定期刊行物を研究事例にした場合は、基礎作業としてある一定期間の網羅的なデータ収集とその量的分析が欠かせない。(つづく)

 


注1 尾崎秀樹『大衆文学論』勁草書房、1965年、143頁をはじめとして数多くの指摘がある。
注2 大衆文学研究会編『歴史・時代小説事典』発行・有楽出版社、発売・実業之日本社、2000年、26頁