海文堂書店の記憶と記録
平野義昌
(元「海文堂書店」人文書担当者)
海文堂書店で働いていたときから,人を訪ね,資料を探し,神戸の本屋の歴史を少しずつ書いてきました。残しておかないと消えてしまうと思ったのです。その中に海文堂書店も入ってしまうとは思ってもいませんでしたが。もし本にできなければ,ガリ版を切ってでも残したいと思いました。「なぜ,あれだけ惜しんでくれたのか?」。私には最後までわかりませんでした。その答えが欲しくて,私はこの本を書いたのかもしれません。海文堂のOB,スタッフとサポーターたちの叱咤激励で2015年7月,『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)を書き上げることができました。
海文堂書店は新刊の本屋で2013年9月に閉店しました。老舗書店がなくなるということでメディアが好意的に取り上げてくれました。売り上げ不振で廃業する本屋ですが,最後の2か月間は10年以上前の懐かしい売上げに戻るという,熱狂的なお客さんの来店状況でした。働いていた私たちは突然の閉店で気持ちがすさんでいたので,なんでもっと早く来てくれなかったのだろうと思いました。
私の本の年表にあるように,「賀集書店」を1914年に開店し,『海事大辞書』で失敗するのですが,1926年に「海文堂」に改称,そして1930年に岡田一雄が入社して1940年に社長に就任します。島田誠社長の時に,ギャラリーを開設し,帆船のブックカバーもこのころから使い始めます。また,小林良宣店長がいろんなPR誌を作り,オリジナルのフェアを積極的にやっていく。1981年に店舗を大改装して,1階,2階で250坪。以来,30数年,阪神淡路大震災で少し手直しはしましたが,リニューアルはしていませんでした。阪神淡路大震災の時は三宮が大被害だったので,元町商店街が通勤・通学の通路になって賑やかになりました。そのとき,島田社長が芸術家支援のチャリティを行いました。1996年が一番,本屋の売上げが良い年で,海文堂書店も1996年は営業再開できたので,いい売上げでした。
閉店後に海文堂書店について書こうと,スタッフにもインタビューして,今まで当たり前にやっていた仕事を言葉にしようとしました。
書いている時はものすごくいいかっこして,近代の中の神戸,神戸の中の海文堂ということを書いているつもりでしたが,本当はお客さんの一人ひとりとスタッフの小さな歴史を書いているんだということに気付きました。
リアル書店の長所は棚を持っていることです。そして,そこで働いている人たちの魅力。神戸では古本屋を新しく開いて,古本と新刊,雑貨を置いたり,カフェをしたりしている人もいます。身の丈に合った小さな商いに活路を見出している人たちがいて,これからも応援したいと思います。
(文責:湯浅俊彦)