■ 関西部会 発表要旨 (2008年2月22日)
マス・メディアのなかのマンガ――新聞・雑誌にみるカートゥーン
茨木正治
本報告では,拙著『メディアのなかのマンガ』(臨川書店,2007年)の概要と出版の趣旨について言及し,そこから発見された問題について若干の検討を試みた。
一コママンガ(カートゥーン)は,新聞・雑誌を通じて発達をしてきた。拙著『メディアのなかのマンガ』において,カートゥーンそのものの機能から出発して,歴史と理論の面から,掲載媒体である新聞・雑誌とカートゥーンとの相互作用を考えることを試みた。近代新聞が登場した17~8世紀を出発点として,英・仏・米のカートゥーンを,日本では幕末からの新聞カートゥーンを,それぞれ概観した。理論面では,出来事の端的な「解説」と諷刺表現に代表される「論評」の機能を裏付ける理論として,メディアの現実構成に関する諸理論(議題設定機能研究),フレーム,スキーマ等の認知科学に依拠した諸理論との関わりを紹介した。それにより,新聞メディアが社会的環境から受ける変化に対応して,カートゥーンの「解説」や「論評」の機能や紙面での位置づけに変化が生じていることを示した。
しかし,拙著では,新聞掲載のカートゥーンに比べて,雑誌掲載のカートゥーンにはあまり言及ができなかった。そこで,本報告では,新聞と雑誌掲載のカートゥーンの性質の違いの有無を,カートゥーンそれ自体の比較と,掲載媒体のほかの活字情報との比較を通じて明らかにすべく,2005年9月の第44回衆議院選挙(「総選挙」と略)をテーマにした,雑誌カートゥーン(『週刊朝日』掲載,山藤章二作『ブラックアングル』,『サンデー毎日』掲載,高橋春男作『大日本中流小市民』)9点を分析対象とした。拙著で分析対象とした新聞カートゥーンと同一の分析方法を用いて比較した。その結果,「総選挙」の下位テーマについては,新聞と雑誌のカートゥーンで差異は見られなかった。各テーマを詳細にみると,「選挙結果」について,『大日本中流小市民』では,「小泉劇場」の劇場性を批判するとともに,有権者や国民にまでその諷刺の射程を延ばしていることが特徴的であった。さらに,「総選挙」を扱った『大日本中流小市民』は,物語性(ストーリー性)を重視しており,週刊誌という発行形態の特色をうまく利用しているのではないかと思われた。
上記のような報告に対して,質疑応答が行われた。特に,掲載媒体との関わりにおいて様々な意見・質問がなされた。新聞・雑誌の編集が作品に与える影響はどのくらいか,たとえば,カートゥーンの風刺性について,新聞メディアの「価値判断」(ニュース・バリューと異なる)の枠内でのものではないか,多様な価値観を持つ読者に対して,カートゥーンの持つ意味はどのように見つけることができるか,携帯によるマンガ配信がなされているが,そうした新しいメディアにおいてカートゥーンはどのような意味を持ちうるか,等々。
こうした,問題提起に対して,作品が反映するメディアの属性を一つ一つ丹念に検討することによって掲載媒体との関連性を明らかにしていくことが必要であることを報告者は感じた。
(茨木正治)