■歴史部会 発表報告(2011年10月14日)
「武井武雄・銅版絵本『地上の祭』はいつ刊行されたか」
田中 栞
童画家として知られる武井武雄(明治27~昭和58年)は,書物制作の面でも並々ならぬこだわりを貫く作家であった。
なかでもアオイ書房から刊行した『地上の祭』(限定200部)は,左右30×天地約36センチの大型本で,表紙は石版刷りし,本文用紙は特漉きの越前鳥の子紙に,武井の銅版画を13点も直刷りし,写真植字や銅凸版,輪転平版に活版印刷と,様々な技法を駆使して仕上げた超豪華本だ。
本書の企画が同社の『書窓』昭和11年11月号誌上で公表されるや予約申込みが殺到,翌月号には定数に達したむね告知されるほど,愛書家たちの注目を浴びた。
本書奥付の発行年月日は,昭和13年12月30日である。ところが『書窓』昭和14年3月号には「引きつづき入念を極めて製本中」,4月号にも,3月号発行頃ようやく製本に取りかかったものの,本はできていないむね記されている。昭和13年12月に,まだ刊行はされていなかったのだ。では,実際にはいつできあがったのだろうか。
出版物の実際の刊行時期を特定するのに,参考となるのが国立国会図書館所蔵本である。戦前の出版物は「出版法」第3条(明治26年公布)に従い,検閲のため「発行ノ日ヨリ到達スヘキ日数ヲ除キ三日前ニ」製本の仕上がった本を提出することが義務づけられていた。奥付記載の年月日は,予測に基づいて組版印刷された日付だが,届けられた本に押捺される印の年月日は,実際の日として信ずるに足る。
限定番号表示欄に「納本分」と手書きされた国会図書館所蔵本(請求記号428-61,書誌ID724497)の納本印を確認すると,「昭和十四・一・十・納本」とある。
この日付からすると,あたかも奥付の日に本ができあがっていたように見える。しかし頒布された本と本書とを比べると,銅版画の刷り位置にはズレがあり,武井武雄の墨署名は未記入であり,尾題(本文最後に記載される題名)も印刷されていない。また,奥付は平版印刷のはずだが,本書は金属凸版で印刷されている。
こうした製作方法の違いから考えるに,本書は,内務省に提出するため特別に作ったものと判断せざるを得ない。つまり納本されたとき,読者の手元に渡るべき頒布本は,まだ完成していなかったのだ。
本文紙の特漉きやノンブル活字の新鋳,印刷現場の立ち会いなど,妥協を許さぬ製作を行ううちに戦時色が濃厚となり,金箔の使用は禁止され,買い置いていた革も使用延期許可願いの書類を毎月何通も出すような事態に陥った。この間,武井本人は長男と母を亡くし,自身も体調を崩すなどして,作業は甚だしく遅延していた。
最終的に,『地上の祭』が完成したらしいというのは『書窓』昭和14年7月号の「一本も余さず全部頒布確定ずみ」,『新領土』(アオイ書房刊)昭和14年7月号の「廿五円を予約の方々への頒費といふことにやつと決心して発表したのはツイ最近である」という記述による。
公刊史料から類推できるのはここまでだが,昨夏,縁あって発送時の宛名票つきの箱と出会う機会を得た。貼付された切手の消印から昭和14年6月29日に発送されたことが分かると同時に,購入者である土屋光司氏(ミステリ翻訳家)が記した「武井氏のエツチング集(代価二十五円)が書留で来る」という6月30日付の日記も確認することができた。同様に,別冊『銅版絵本地上の祭愛蔵家名簿』(奥付の記載は昭和15年3月)も,封筒裏のペン書きから,実際には7月3日に発送されたことが判明した。
以上から,『地上の祭』本冊はおそらく昭和14年6月下旬頃に,別冊は昭和15年7月初旬頃に完成したのではないかと考えられる。
奥付の発行年月日を,無条件で信じてしまいがちだが,出版研究に際しては,この部分の検証からして必要だと,つくづく思った次第である。
(文責:田中栞)