■歴史部会 発表報告(2010年5月27日)
「明和年間の記憶術・忘却術の出版」
甘露純規
明治以前の人々は記憶についてどのような考えを持っていたのか.どのように働き,どこに蓄えられると考えていたのか.
そして忘却をどう考えていたのか.明治時代には,学校制度と結びつき記憶術が大流行した.この大流行については先行研究があり,明治時代の人々の記憶についての考えはある程度明らかになっている.記憶術が受験と結びつきながら流行した明治時代は,まさに「記憶力の時代」であった.
が,江戸時代の儒教の素読の問題を考えるだけでも,明治とは違う形ではあるが,江戸も記憶に対して強いこだわりを持った時代,「記憶力の時代」ではなかったかと思うのである.ヨーロッパについては,記憶や忘却に対して近代以前の人々が抱いていた考え方,そして記憶/忘却と文化のかかわり,特にギリシャ以来の修辞学の伝統,キリスト教文化とのかかわりを考察した研究がある.が,日本ではどうだったのか.
近年,江戸時代の読書の実態については豊かな研究の蓄積が出来つつある.かつまた素読についても,いくつかの先行研究がある.これらの先行研究は読書の実態や読書がもたらす文化的な影響を我々に教えてくれる.が,これらの先行研究は読書を支える記憶/忘却の問題を明らかにすることを目的としたものではない.
江戸時代の中頃の京都で,一人の山師学者が現れ,記憶術の伝授をうたって多くの人々から多額の金を集めた.この記憶術は短期的ではあったが京都の町で流行し出版物にもなった.この流行に対抗して建部綾足は,パロディとして忘却術を出版している.流行が短期間であったことを考えれば,この記憶術と忘却術が歴史に与えた影響は皆無と言っていい.が,この記憶術と忘却術についての研究は,江戸時代の人々が記憶/忘却についてどのような考えを持っていたかという問題の一端を明らかにしてくれるはずだ.これらの術については,文学研究においてすでにいくつかの先行研究がある.が,これらの先行研究は建部綾足への関心から記憶術や忘却術を取り上げたものであり,江戸時代の記憶術や忘却術の実態,そしてその背景にある記憶/忘却についての人々の考えの解明を目指したものではない.
本発表では,こうした目論見のもとに,これまでの先行研究が取り上げなかった問題,江戸時代の記憶術と忘却術の実態,及びこれらの術を生み出した記憶/忘却の概念,そして記憶/忘却をめぐる文化的な状況について考察を行った.
その結果,記憶/忘却の概念は,中国の伝統的な医学に見られる,流動的な「心」のあり方と深い関連を持つこと,忘却術出版の背景には,忘却のテクニックをめぐる儒教と道教の伝統的な議論が存在したことなどを明らかにした.
(文責:甘露純規)