序文考――『出版月評』の言説を契機に
富塚昌輝
本発表では明治二十年八月に創刊された『出版月評』に着目した。『出版月評』は「我邦ニ於テ著書出版ノ批評ヲ専門トスル雑誌ノ嚆矢」を謳った雑誌であり,明治二十年前後の〈批評〉盛行を代表するものであった。〈批評〉の必要性は明治十五年前後から書籍出版数の増大とともに主張されており,『出版月評』の創刊はその帰結であった。ことを小説〈批評〉の側面から見ると,明治十九年あたりから本格的な作品評が現れており,それは当時の〈批評〉の盛行と軌を一にする。かかる文脈を見据えるならば,〈批評〉を明確に問題化し,〈批評〉にまつわる枠組みが集約的に表現される『出版月評』の検討を契機とすることで,小説読書の変容を考えるよすがとなるだろう。
以上の問題意識のもと,本発表では特に序文の問題について具体的に検討した。さらに,必要に応じて序文と同じ問題を有する題辞・跋文をも対象とした。この期に限らず,書籍に著者と別の人物の手になる序文を付すことは普通に行われていた。しかし,『出版月評』においては,それらの存在は「自重自恃」,「卓然独行」を妨げるものであるとして批判されていた。特に,「高位高官ノ者ノ仮声ヲ借リ来リ其著訳書ノ売レンコトヲ希フ」序文の存在は,「文学進歩」を標榜する『出版月評』において「金儲主義」として厳しく指弾されたのであった。小説界においても同様の傾向を指摘することが出来る。『出版月評』社友であった坪内逍遙を始め,内田魯庵,福地源一郎などの言説から序文に対して無関心でいられなかった時代相が浮かび上がってくる。そして,彼らが「近代小説」を主張する人々であったことを考える時,序文を廃して書籍の内容を純粋に志向する『出版月評』の論理が小説界においても極めて有効に働いた有り様を確認することができるのである。
最後に依田学海の『学海日録』に掲載されている序文関連記事を見ることにより,序文をめぐるやり取りの現場について瞥見した。そのことにより,序文の依頼,報酬,目的などが判明し,また有名家の代わりに序文を書く代序の存在についても指摘した。
(富塚昌輝)