歴史部会 発表要旨 (2006年12月15日)
販売情報誌にみる赤本・特価本の流通
―― 大正・昭和戦前期の特価本販売情報誌を中心に
戸家 誠
かつては「赤本」「ゾッキ本」と呼ばれた出版物が見受けられたが,その詳しい実態についてはよく分かっていない。不明なことの多い赤本やゾッキ本など「特価本」について,戦前期に発行された『月報』と呼ぶ通信販売情報誌から分かることを中心にして,所蔵する月報の現物を持ち込み報告した。
昭和11年(1936年)当時,特価本を扱う業者=数物(数物)問屋の軒数は,当時の古本年鑑によると東京52,大阪12,京都3,名古屋4,横浜1の合計72軒あり,また扱い商品別軒数比は書籍専門70%,雑誌専門8%,両方22%の割合を示している。月報類を発行したのは何軒であったかは不明であるが,昭和16年の業界紙には「市内だけで15,6軒――」とある。
これまでに収集した月報類は16種(東京11誌,関西2誌,読者向け3誌),月報が盛んに発行されたのは昭和4,5年頃から14,5年頃だが大正時代のものが3誌ある。概ね時代が古いものは1枚もの表形式で,順次,折りたたみ冊子型,雑誌型になる。一番古いものは大正2年(1913年),博文館系の「大正堂」のもので,掲載された書目約350点には定価と割引価格が表示され,他に目録以外の書籍も一般書は1割引き,法律書は5歩引き,中等教科書と医学書は正価通りで取り扱うとある。
当時の有力業者であった河野成光館,湯浅春江堂,酒井淡海堂など,昭和期発行のいずれの月報にも,販売条件として(1)前金制,(2)荷造り・送料経費は注文者負担,(3)買い切り,であることが明示してある。そして記事は同じものが次号には頁を替えて流用され,流行り廃りもあり人気や売り上げによって調整しているのか掲載商品傾向は1年くらいで大きく変動している。
月報には「月遅れ雑誌」の定期購読募集や,古雑誌を解体・再生して売る「再製雑誌」,雑誌付録の単体・セット物販売,類似または組み合わせた赤本の「お任せセット商品」など,現代の感覚では驚くような販売方法が載っている。“もったいない”精神が当たり前として生きていた時代の商法であったのだろうか…。
(戸家 誠)