渋江保の著作活動――博文館・大学館・三才社をめぐって  藤元直樹 (2005年10月14日)

歴史部会   発表要旨 (2005年10月14日)

渋江保の著作活動――博文館・大学館・三才社をめぐって

藤元直樹

 渋江抽斎の嗣子渋江保は、従来、鴎外の著作活動とのかかわりにおいてその名を知られてきた。その後、羽化仙史名義の通俗小説が注目されカルト作家的な扱いを受けるに至っている。
 【博文館】初期の出版活動を見ると「雑誌」と「叢書」という定期刊行物にその力点がおかれていることに気づく。工業製品として出版物が次々と生産される時代の到来である。だがテクスト自体は工業製品と同様には生成されない。同時代のテクストの再編集(〈日本大家論集〉)、過去のテクストを翻刻(「日本文学全書」)といった方法が、出版の工業化を支えているが、もっとも有効な方法は「勤勉」にある。インダストリアルを支えたのはインダストリアスであった。渋江は同時代の海外のテクストを翻訳再編集することに身を挺したが、内田魯庵は『文学者となる法』で渋江を名指し(雅号「幸福」)で揶揄した。渋江が西洋古典の一大叢書を構想していたと思われることのみ記し、博文館での著作活動の詳細については拙文「抽斎没後の渋江家と帝国図書館」〈参考書誌研究〉60に譲る。
 【大学館】社主岩崎鉄次郎は紀州の人と伊狩章が記している程度でまとまった情報はない。明治22年同人名で刊行された受験参考書が残るが、大学館名義のそれは30年の出版が最古。井上唖々を迎えることと雑誌〈活文壇〉の刊行で巌谷小波の木曜会と繋がり、同会関係者の著作を刊行して行く。特に押川春浪の著作が版を重ねるが春浪の博文館就職に伴い、新著が期待できなくなり、後を埋める存在として渋江(=羽化仙史)の小説が刊行される。春浪とは異なりエログロの度合いが高く、多くが未完結ということもあって、おすすめしかねるが、従来入手困難であったテクストの多くは近代デジタルライブラリーによってネット上で読むことができるようになっているので、実際に御覧いただきたい。
 【三才社】上村売剣が渋江の易学関連の著述を掲載する雑誌〈天地人〉発行のため設立した出版社。同題の雑誌を出す同名のキリスト教系出版社とは別物。
(藤元直樹)