■ 日本出版学会 翻訳出版研究部会 開催報告
「モリエール生誕400年、邦訳全集・選集を顧みる」
講師:柴田耕太郎
(翻訳会社(株)アイディ会長、日本出版学会翻訳出版部会部会長)
司会:安部由紀子(日本出版学会理事)
柴田耕太郎氏は、2015年から『モリエール傑作戯曲選集』(鳥影社)の上梓を始め、モリエール生誕400年に当たる2022年に全四巻の完結を見ました。当研究会では、柴田氏に明治時代以来のモリエール邦訳全集の回顧、モリエールの文体、各邦訳者の文体の比較検討、また訳業を完成されての発見、感想を語っていただきました。以下に柴田氏の発言の要点を録します。
1 過去のモリエール全集とその訳者
① 1908年(明治41年)『モリエール全集』全三巻(金尾文淵堂)
訳者:草野柴二(1875[明治8]~1936[昭和11])
本名は若杉三郎(こっちのほうが芸名・筆名ぽい!)。1904年東京帝大英文科卒業後、旧制新発田中学の英語教師となる。教職の傍ら翻訳を行い、1907年上京、翌08年にモリエール全集を上梓。中学教師、私大講師などをしながら33歳くらいで全集を仕上げたのは立派。ただ全集と称しても、実際には10篇を収録するのみで、30篇プラスアルファといわれるモリエール全作品の約三分の一。また、英語からの重訳。金尾文淵堂は文芸書・美麗本出版社で、薄田泣菫『白羊宮』も出している。草野の訳は上手だが、時代の制約でフランス人の名前を出さず、日本の状況風俗に変えているのが惜しい。翻訳の動機は「他に拵へる人が無いから自分が始めた」としている。モリエールに惚れ込んだわけではないそうだが、日本に新しいコメディを紹介したいという気持ちはあったろう。草野は40歳くらいのときに八高(現在の名古屋大学)教授になる。若いときにはツルゲーネフやトルストイなどの翻訳もしていたが、あるときからパタッとやらなくなった。モリエール全集が発禁になったので嫌気がさしたか? その事情はこれから研究すべきところだろう。
② 1920年(大正9年)『モリエール全集』全一巻(天佑社)
訳者:坪内士行(1887[明治20]~1986[昭和61])
坪内逍遥の兄の子で、逍遥の養子になった。逍遥訳による日本初のシェイクスピア全集(沙翁全集)は昭和3年に完結。「シェイクスピア全集の翻訳がある国が文明国」(バーナード・ショー)という言に従えば、日本はこのとき文明国になった(?)。士行は早大英文科卒業後、アメリカのハーバード大学に留学。日本に残した恋人の医療費を捻出するため皿洗いなどをし、ハーバード大は中退して帰国。しかし森?外「舞姫」のモデルのように米人女性が後を追って来日。逍遥が許さなかったため、米人女性は他の日本人と結婚し、後に自殺。士行はもてる人だったようで、「ジュリアス・シーザー」の舞台に立った写真を見てもかっこいい。99歳まで生きたその晩年を看護したのが娘の坪内ミキ子という美人女優。天佑社は個人経営の出版社で美麗本を出していた。1920年の『モリエール全集』は定価3円50銭だった。当時学校の小使さんの給料が30円、教員が60円くらいだから、この定価は今なら1万5000円くらいか。当時の本は高かったが、知識に餓えて買う人は結構いた。坪内は翻訳の動機を「日本の文芸中最も貧弱な喜劇界にユーモアの気分を豊富ならしめたい切なる願い」と言っている。「日本の喜劇には人生の深みがない」とも言っていたから、それまでの日本にない喜劇を紹介したいという気持ちは他の訳者と共通だろう。
③ 1934年(昭和9年)『モリエール全集』全四巻(中央公論社)
訳者:吉江喬松(1880[明治13]~1940[昭和15])
有名な農民詩人でもあり、「孤雁」の号を持つ。長野県塩尻の庄屋の生まれ。父が政治にのめり込んだため家を任され、農業に従事した。一念発起して早大に入り、英文科卒業後、出版社で国木田独歩の本を編集したりする。早大教授となったあと1916年から20年まで大学の費用でフランスのソルボンヌ大学に留学。帰国後40歳で早大仏文科を創設する。フランス文学、文化の日本への紹介の功績でフランス政府からレジオンドヌール勲章を受ける。この勲章には名人職人が受けるシュバリエ章とか、上中並の章があって、そのどれを貰ったのかはわからない。フランスは文化帝国主義が盛んだからこういう勲章を出す。1934年に刊行したのは本邦初の完全な全集。モリエールの30数作品が全部収録されているし、フランス語からの直接訳。ただし吉江が全部訳したのではなく、弟子たちも訳している。「ドン・ジュアン」は川島順平(私=柴田の卒論指導教授)訳。翻訳の動機は「当代時相を描きながら、人間性に徹して永久に生きる本質を備えている」からと言っている。喜劇の精髄がモリエールにあると考えたのだろう。
④ 1973年(昭和48年)『モリエール全集』全四巻(中央公論社)
訳者:鈴木力衛(1911[明治44]~1973[昭和48])
旧制一高をトップで卒業した英才。当時七高のトップより一高のビリのほうが優秀といわれたくらいだからすごい。一高では文甲(第一外国語が英語)だったが、二年生のときアテネフランセに通い、ジョゼフ・コット校長の薫陶を受け、高校は一年休学してアテネフランセのブルヴェ(修了証)を取った。政府給費留学生としてフランスのパリ大学に留学。1973年の全集にはモリエールの20作品が収録されている。全作品を訳さないのかと問われて、「これでモリエールは尽くしている。他のは似た作品もあるし、白水社の作品集を集めれば全部読むこともできる」と鈴木は答えた。私(柴田)の学生のときにこの全集が出て、文学座が上演したのを何本か見た。翻訳の動機については「現在の日本にはモリエール的な笑いがぜひとも必要だと考える」と言っている。
⑤ 2003年(平成15年)『モリエール全集』全十巻(臨川書店)
訳者:秋山伸子(1962?[昭和37?]~)
年齢ははっきりしない。京大仏文科卒業、フランスに留学。パリ大学で博士号を取っている。現役の青学大教授。1994年に短大講師になり、この頃から翻訳を始めたか? 若くして難解な対象に取り組み仕上げたのは大変なこと。奥床しい人で、単独訳にせず、指導教授らしい人が少し訳しているが、全集の九割は秋山が訳している。自己顕示欲がなく、控え目で余裕のある人らしい。翻訳動機に「最新の研究成果を盛り込んだ」と書いているように、研究者的な要素が強い。丁寧な訳文で、誤訳も少ない。
2 モリエールの文体、訳者の文体
① モリエールの文体
訳してみて、モリエールの文体を身をもって味わうと、四つのパターンがあるのに気づいた。(ⅰ)格調ある独白、(ⅱ)論理の応酬、(ⅲ)日常の会話、(ⅳ)乙張(めりはり)のきく掛合。それぞれの特徴がくっきり出ている。
ⅰ 格調ある独白(例:「女房学校」第4幕第1場 アルノルフ「こうしているのが辛い~」)
語呂の調子がいい。ハムレットの「To be or not to be~」を思い出す。個人の思いの独白としてはそれと双璧を成す台詞だ。日生劇場で客席に正面切ってやるような独白。他に、対話だが実質的に独白になっているものもある。
ⅱ 論理の応酬(例:「女学者」第4幕第3場)フラマントとクリタンドル「この話は別の機会に~」)
抽象的な主張のぶつかり合いで、文法的・論理的読み解きが難しく、そのまま訳すと日本語になりにくい。日本語のほうが語の意味の範囲が狭いので?み合わない。どう辻褄を合わせるか、現在でも解決できない問題だと思う。
ⅲ 日常の会話(例:「エリード姫」第2幕第3の幕間劇第1場 モロン「フィリス、ここにいてくれ」~)
これは訳すのが楽。論理の応酬の訳をやっていると難しくて、もう翻訳はやめようかと思うが、これは誰が訳しても変わらないようなものなので、いっそ誰かの訳を移してちょこちょこ和文和訳しようかと誘惑にかられるほど。実際にはそうもいかないが。台詞に深みもないし、文法的な問題もない。
ⅳ 乙張りのきく掛合(例:「守銭奴」第1幕第5場 アルパゴン「何だと。アンセルムさんは~」)
ボケとツッコミみたいなもので、この文体は結構多い。
以上の四つの文体がそれぞれ独立してあり、その上で全体として喜劇になっている。
② 訳者の文体
ⅰ 明治初期の翻案調
・尾崎紅葉「夏小袖」1892年(明治25年)
尾崎は英語版を読んだのだろう。よく理解しているしちゃんと日本語にしている。日本の習慣に合わせ、原文の「持参金」を「支度金」として払うほうと貰うほうが逆になっている。翻案で日本語オリジナルの文章だからやはり語呂がいい。訳文だとどうしても無理が出る。
・草野柴二「守銭奴」1905年(明治38年)
私(柴田)の訳とも殆ど変わらず、誤訳もなく読めている。時代ゆえ文は古いが、意味はちゃんと取れている。
ⅱ 「ドン・ジュアン」の諸訳 第1幕第2場 Quoi? Tu veux qu’on se lie~
・坪内士行訳 逍遥のシェイクスピア訳と似ている。叔父と甥だからか、時代の特徴か。雅俗混淆調。
・川島順平訳 上手いが、今では古いか。
・鈴木力衛訳 長く諸劇団で切り貼りされて使われてきた。
・秋山伸子訳 丁寧。ここは女性らしさが出ている。「虜にした」とロマンチックな訳だが、原文はもっとバサッと言っている。
・柴田耕太郎訳 秋山訳より荒っぽい。「虜」のところは「丸め込まれた」。Pour(英語のfor)を「義理立て」とするなど、ドン・ジュアンの性格解釈の入った訳。
3 モリエール選集を訳し終えて
(1)翻訳の動機 学生のころ鈴木力衛訳のモリエールを見て面白くなかったのが、フランスでコメディ・フランセーズの「スカパンの悪だくみ」を見たらすごく面白くて驚いた。翻訳は長くて原文のリズムを失っているのが問題だと思った。疑似日本語の台詞をリアリズムでやるから詰らなかったんだろうと考え、台詞を短くし、リズムを作り、意識の流れを繋げようと翻訳を始めた。古典の格調を写したい。
(2)翻訳の目標 きちんと台詞の読める役者がそのまま朗じ得る、かつ本としても読者がすんなり読み進められる台詞にすること。
(3)作品選定の基準 『シェイクスピア全集』に16作品しか収録しなかった福田恆存が「シェイクスピアも面白いものばかりじゃない」と言ったように、モリエールも面白いものばかりじゃない。自分が演じたい、演出したい、読みたい作品を選んだので、脈絡はない。
(4)見せ方の工夫 各作品の冒頭に人物関係図と「ものがたり」(あらすじ)を置いた。韻文作品ではほぼ100%、各行ごとに原文と対照させ、意味完結させた。ただし原文のような脚韻を踏むのは無理。マチネ・ポエティクも成功しなかった。
(5)いま思うこと
・先行訳の有難さ シェイクスピアの訳も多いのに後からやった人が前の人に言及しない。わざと先行訳と違うふうに訳す傾向さえある。しかし小田島雄志訳ができたのも先行訳があったおかげ。はっきり言うが柴田訳ができたのは秋山訳と鈴木訳があったおかげだ。
・若い頃の苦労 食うにも困ったが児童劇団や声優など様々な仕事をしたのが今に生きている。
・英語をやる利点 英語とフランス語を対照することによって立体的に見えてくる。Amiをフランス語辞書で引くと「友人」しか出てこないがfriendを英語辞書で引くと「友人、味方、後援者」など詳しく出てくる。英語辞書は非常に良くできているので、英語をやっているおかげでフランス語も良く読めるようになる。
・翻訳の経済 昔、福田恆存はシェイクスピア全集の印税で暮らしていたとか、京大教授がスタンダール「赤と黒」の翻訳料で家一軒建てたとかいわれたが、今はとてもそんな状況ではない。翻訳をするのは自己満足に近いかもしれないが、やりたいことをやるのが大事だと思う。
・モリエールとシェイクスピア モリエールにはシェイクスピアの影響は殆どないが、「エリード姫」の道化などはシェイクスピアのもじりだと思う。私(柴田)はシェイクスピアではイメージがわかない。文学座のアトリエ公演と小田島雄志訳以来シェイクスピア劇が盛んになったが、みんな本当に楽しんでいるのか? 私はモリエールのほうが身近で好きだ。
・新劇の功罪 疑似日本語をリアリズムで演じるのが新劇だった。付け鼻、赤毛、肉襦袢の「西洋」だった。昭和30~40年代まではそれでよかったが、実際の西洋にどんどん行けるようになり、そういう「新劇」は滅んだ。
・モリエールの医学嫌悪 モリエールの時代のヨーロッパの医学が古代から進歩していなかったせいもあるだろう。「ほとんどの人はもらった薬で死ぬ」という台詞(「気で病む男」)の通りの医者嫌いを貫き、モリエールは喘息の治療をしないまま死んだ。
・SVOとSOV 英仏語だとまず動詞(V)が来るからその後の目的語(O)が長くてもいいが、日本語は肯定か否定かもわからないまま長い目的語で引っ張られると辛い。日本語を変えなきゃいけないと思っている。日本語に様々な欧文脈が入ってきているのだから、SVOも取り入れるべきだろう。
(文責:神長倉伸義)
日 時:2022年3月19日(土)10:30~12:00
会 場:ZOOMオンライン会場
参加者:参加登録45人、当日参加37人、内訳は会員が5分の1ほど