「学術出版の縁から――変化の時代を生き抜くために」喜入冬子(2021年9月5日開催)

■ 日本出版学会 学術出版研究部会(一般社団法人大学出版部協会 共催)
 開催報告(2021年9月5日開催)

連続オンライン講演会:「学術出版を語る」2
「学術出版の縁から――変化の時代を生き抜くために」
 喜入冬子(筑摩書房代表取締役社長)

はじめに
 学術出版とは、「学術研究」のための出版で、自費出版でもなければ商業出版でもない。そういう「学術出版」の定義を見つけました(https://www.gentosha-book.com/column/261/)。社会的意義と商売の両面から規定しているわけです。商業出版は、「1冊あたり1000円前後、5000~10000部、数か月で完売」。この定義でいうと、筑摩は商業出版なのかどうか微妙です。そして筑摩は「学術研究」的な出版はやっていますが、それは「学術研究」のためというより「学術研究」の成果を専門家のところから一般に広めたいという感じで、こちらも微妙です。したがって今の筑摩書房の位置は、「学術出版のフチ」とか「学術出版のヘリ」といったところかなと思い、こうした演題になった次第です。

1 筑摩書房はどういう版元なのか

 筑摩書房の歴史は3期にわかれます。まず創業から終戦まで。創業者の古田晁と臼井吉見、唐木順三、中村光夫。彼らが、がむしゃらに「いい本を出す」ために出版社をやっていたのがこの時代です。
 つぎに終戦から倒産まで。終戦翌年出した雑誌「展望」の好調は長くは続かず、太宰治「人間失格」などたまに出るヒットで何とか食つなぐ状態だったところ、53年「現代日本文学全集」で起死回生。で、全集企画が増え会社の規模も大きくなり、しかし結局、全集ものは遅延しがちでキャッシュが回らず、78年に会社更生法を申請しました。
 「硬派の良心的出版を続けてきたが、文庫やコミックなど時流に乗った本を出すことに抵抗したために追い詰められた」という同情的な声が多かった反面、臼井吉見による「こんな醜体をさらけた同社の体質」などの厳しい声も。今思えば結局、「いい本を出す出版社」という看板によりかかって胡坐をかき、時代の変化に対応できず自滅した、ということではないかと思います。社会学者の加藤秀俊さん言うところの「中間文化」、ミニ教養主義の時代になったことに無自覚にハイブローを目指し、「商業出版」としては失敗したのではないか。
 第三期は再建から現在まで。再建の大きな柱は二つあって、ひとつは、営業改革。もうひとつは、企画内容の改革。ペーパーバック中心の出版物に移行したこと。漢字の「筑摩」から、ひらがなの「ちくま」に変わった、というのが象徴的かもしれません。
 まとめると、筑摩書房は、戦前戦後の知識人・文学青年の理想主義で「日本文化のためにいっちょやろう」という出版社で、クラシックな全方位教養主義で文芸書を中心とした人文書を作ってきたが、プロの商売としては失敗し倒産。その反省から、いわばカジュアルな教養主義路線で立て直してきたが、ここにきてまた、大きな時代の変化に翻弄されている、といったところでしょうか。

2 社会の変化にどう対応するのか(出版社は何を売っているのか)

 1996年をピークにずっとシュリンクしてきた出版市場が一昨年、去年と改善しました。その要因はおもに電子コミックです。コミックスを持つ大手出版社はデジタルシフトを加速させていくでしょう。ではコミックスを持たない出版社であるわれわれは?
 市場シュリンクの主な理由はネットの普及です。ただネット情報は不確かで細切れなものが多い。対して本の情報というのは、一定の分量があり「編集」してパッケージ化され著者と出版社が品質保証をしており、その価値は大きい。それは紙の本でも電子書籍で同じです。
 私は出版社の人間ですから、もちろん、本はできれば紙で、リアル書店で買って読んでほしい。本屋さんはわれわれの生命線ですから。でも、紙と電子はそれぞれメリットデメリットがあり、それは読者が選ぶことです。出版社が作って売っているのは、本質的には本という物(モノ)ではなくコンテンツではないかと思いますし。
 ネットは功罪ありますが、なくなることはありませんから、使うしかありません。読者に直接、情報を届け、私たちの持つコンテンツの価値を理解してもらい、さらにはネットからリアルに誘導する、潜在読者を本屋に向かわせることをも試みたいと考えています。

3 筑摩書房の社会的役割はなにか

 創業81年目を迎えた筑摩書房ですが、「日本文化のためにいっちょやろう」は、今もそう変わりはなく、で、やることと言えば、結局やっぱり教養主義だろう、と思っています。
 筑摩書房の初期の教養主義はハイブローな、学術的なものでした。それが中間層向けのカジュアルな教養主義になり、90年代のバブル崩壊と中間層の激減により、「教養主義」そのものも消滅したかのように見えます。「知らない」ことを恥じなくなり、2000年代には、歴史修正主義の登場などで、「真実」の追求そのものにすら疑惑の目が向けられた。真実はどうせ不明、だから好みの説でいい、という感じです。そういう風潮が、いまのコロナ禍関連のデマなどにも表れているように感じます。
 それでは困る、と考える人はたくさんいます。いま何が起こり、自分はどんな世界にいるのか。それを考え追究する人たちの知識や知恵を、手を替え品を替え本にして流通させていくこと。立派な論考でなくても、エッセイでもフィクションでもノンフィクションでも、実用書でも写真集でも、それは可能です。それは、今の時代の教養主義のありようのひとつではないかと思います。
 「教養は、人の心を知る心だ」と言った人がいます。人は、いま隣にいる人すら理解できない。でもわかりたい、それが世界の理解へとつながります。私としては、そういう意味での教養を育むことが筑摩書房の役割だと思っています。
(文責:喜入冬子)

日時:2021年9月3日(金) 18:00~20:00
場所:zoomによるオンライン開催
参加者:110名(出版学会会員28名、大学出版部協会会員14名、いずれにも所属しない非会員68名)

 講師の発表のあと、小林直之氏(東北大学出版会)のコメントがあり、最後に会場参加者を交えて討論を行った。
 なお、本部会は、学術出版のキーパーソンたちに展望を語っていただく連続オンライン講演会「学術出版を語る」の第2回として開催された。

主催:日本出版学会学術出版研究部会、一般社団法人大学出版部協会
協賛:法経会、人文会、歴史書懇話会、国語・国文学出版会、出版梓会