『大阪パック』からみる近代大阪  増田のぞみ (2005年1月21日)

■ 関西部会   発表要旨 (2005年1月21日)

『大阪パック』からみる近代大阪――45年間の誌面変遷とその周辺

増田のぞみ 

 『大阪パック』は明治39年11月の創刊より昭和25年3月に終刊を迎えるまで,明治・大正・昭和を通じて45年間存続した稀にみる長寿雑誌である。また,2004年7月に関西部会で報告された清水勲氏が指摘したように,所蔵機関が少なく古書店にも出回らない「稀少雑誌」として知られる。
 今回の報告では,先行研究において対象とされていなかった関西大学図書館所蔵の『大阪パック』を主な資料とし,その45年間の誌面変遷を追った。さらに,編集や出版には編集者と画家のみでなく,文学者や演芸人,企業家など領域を超えた幅広い人的交流がみられる点に注目し,『大阪パック』という漫画雑誌出版の一事例を通して近代大阪における大衆文化の一側面を再考することが主な目的であった。
 まず先行研究や資料の所蔵状況を概観し,問題点の整理を行った。次に45年間の発行期間について,5つの時期区分を設定した。編集者や漫画家の交代,世相の変化や戦争の影響による編集方針の転換,雑誌体裁の変化や誌名変更などの事情を考慮しながら,第1期から第5期まで,それぞれの時期にみられる特徴を整理した。
 続いて『大阪パック』の販売促進のために輝文館が行ったさまざまな工夫に注目し,(1)駅売りの充実,(2)旅行保険の創設,(3)「慰問」として送付可能にするなどの商法について詳細を確認した。とくに第二次大戦中には本誌自体に切手を貼って投函できるようにし,「慰問」として戦地へ送るよう盛んに宣伝していたが,この時期,輝文館では『皇軍慰問特選漫才パンフレット』や『皇軍慰問映画物語パンフレット』等の出版にも力を入れていたことを当時の広告などから検証した。
 さらに赤松麟作,広瀬勝平,宇和川通喩,小寺鳩甫,羽様荷香,秋田実,平井房人,織田作之助など,『大阪パック』及び輝文館に深く関わった人物たちについて略歴を整理し,その人的交流を概観した。例えば赤松麟作は洋画家,秋田実は漫才作家として著名な人物であるが,それぞれの分野における各人の業績に焦点を当てた研究では『大阪パック』との関わりに言及されることはほとんどない。しかし,赤松麟作と『大阪パック』との関係は,明治末期から大正期にかけての「洋画」と「漫画」の関わりを考えるうえで見過ごせないものである。以上のように,雑誌出版の一事例を通して,異なる領域が相互に影響を与え合う近代大阪における文化の一側面が明らかになることを示唆し,報告を終えた。
 参加者からの質疑応答では,『大阪パック』において用いられた印刷技術や読者層に関する質問の他,戦中から占領期にかけての大阪における紙の配給,用紙割当の状況などをめぐって意見が交わされた。関西の出版界においても,戦争こそが「商機」として利用され,各社が販売方法を工夫しながら読者獲得に力を注いだことなどが指摘され,さらに議論が深められるとともに今後の課題が確認された。
(増田のぞみ)