和本の出版技術――「本屋」の仕事
橋口侯之介(誠心堂書店)
江戸時代以前の本を総称して和本という。和紙に木版で印刷した版本が主流だが,手書きの写本も多数つくられ,多様な書物文化を形成していた。その1200年の歴史には,本は常に次世代に伝存すべきものという書物観が秘められている。和紙が千年の長きに耐えうる優れた素材であることも相まって,日本は世界的に見ても古い本や文書が良好に残存する国柄になった。
16世紀末から活字印刷技術が興り近世的な出版が始まったが,寛永期後半(1630年代)になるとその活字印刷は下火となり,木版を使った従来型の印刷(整版)に戻った。これは技術的に退化したのでなく,いったん活字印刷が入ったことで,出版への意欲が増した一方,かえって木版印刷の良さが再認識されたのだ。
木版であれば,挿絵や振り仮名,漢文の訓点や注釈入りの本なども自在に彫ることができた。細部にこだわった印刷によって,新たな読者層を広げることになる。そこで商業出版が軌道に乗り,江戸時代の盛んな出版が出現したのである。新たな読者層とは,学問や宗教の専門家だけでなく,入門者,あるいは知的好奇心の旺盛な市井の人びとである。「文化的中間層」などと呼ばれて近年注目されており,現代でもこの層の厚みが盛んな出版活動を支えている。それは江戸時代に成り立ったのだった。
さらに本屋と草紙屋が区別され,江戸では前者を書物屋と称して「物之本」といわれた専門書の類を出してきた一方,後者は「地本問屋」と呼ばれて大衆本を大量に出版した。この両者は階層化していたが,江戸時代の後期になると高いリテラシー(読み書きの能力)の向上も相まって,草紙屋の出す実用書,読み物が市場を席巻するようになった。ますます読者層の拡大がはかられ,厚みのある出版が広がった。
現在でも古本屋の手で和本は流通し続けている。東京・神田では毎週火曜日に和本の市が開かれ全国の古書店から毎週数百点の和本が送られて来る。それらを100軒以上の古本業者が入札する。その活発さのおかげで,現代でも古書店に行けばこの豊かな世界を実感できる。300,400年前の物之本も草紙もリーズナブルな価格で手に入れることができるのである。実物を見て触ることで,文化の奥深さを味わってほしいものである。
*参加者31名(会員9名,非会員22名),会場は中央区立ハイテクセンター(八丁堀)。
(文責:田中栞)