■ 歴史部会 発表要旨 (2007年3月6日)
三宅米吉と雑誌『文』
竹田進吾
三宅米吉(1860~1929)は,基本的には日本史研究者である。1895年には高等師範学校教授,1920年には東京高等師範学校長,1929年には初代東京文理科大学長となる。しかし三宅は,1886年から1895年までの9年間,書肆金港堂の幹部であり,金港堂の教科書刊行,雑誌刊行事業に深く関わっていたのである。
三宅は1886年に金港堂から教育事業視察として欧米に出立。1888年に帰国して,金港堂編輯所長となり,雑誌『文』を主宰した。『文』編輯人として,教育・学術に関する啓蒙活動を組織し,三宅自身の教育・歴史・美術・国語・外国情報等に関する論説等を『文』に大量に掲載している。
従来,『文』と『文』編輯人時代の三宅に関する先行研究では,三宅の『文』を拠点とした教育・学術に関する啓蒙活動が,教育学・出版史・教科書史・史学史・近代文体発生史等の分野で肯定的に位置づけられてきた。しかし,実は『文』の書誌的研究自体なされてはいないのである。そのため『文』に関する基礎的事実自体,いまだ解明されていないことが多い研究状況である。また,『文』刊行・編集を主導した時期における三宅の思想的特質も明らかではない。
そこで,本報告ではまず『文』の書誌的分析により,『文』をめぐる動向を明らかにした。次に『文』編輯人三宅の思想的特質を,『文』掲載の三宅の論説等から考察した。その際,三宅の欧化に対する認識を重視した。さらに誌上で組織された論争に注目することで,『文』の内容上の変容を検討した。
(竹田進吾)